sgmtk

わたしがわたしであることを忘れないための。すこし文章を書いたりもしていましたが感想やメモに近いものも含みます。

sgmtk

わたしがわたしであることを忘れないための。すこし文章を書いたりもしていましたが感想やメモに近いものも含みます。

マガジン

  • 雨のゆうべ──『失われた時を求めて』日記

    失われた時を求めて、あるいは、喪の日記

最近の記事

第3回 2022年5月14日

 ルグランダンが「私」に対してそう語ったように、母は祈ってくれただろうか。たとえルグランダンのそれがスノッブな身ぶりだったとしても、もしかすると母が祈ってくれたかもしれないその願いを胸に抱くだけで、わずかばかりの幸福が自らのうちにとどまってくれるように感じる──そう書いたあと、手が止まってしまう。いくつかの引用を打ち込むうちに(例によって端の折られた頁を辿ってその前後を読みなおす。なにしろ『失われた時を求めて』を読むことは、読んだそばから忘れていくこととほとんど同じことで、ぼ

    • 第2回 2022年5月1日

       改めて日記を書こうかとすでに読んだ頁を(昨年の夏からずいぶん長いあいだ、『失われた時を求めて』の第一巻はリュックのなかに入ったままになっていた。いつでもぼくはリュックのなかに数冊の本を入れていて、小説(詩集のこともある)やエッセイ、人文書など、気分というよりももっと、天気とか場所とか、iPhoneで曲を選ぶときのように手に取れるようにして、それでも毎日同じ道のりを行ったり来たりするだけなので、結局は手に取らずスマホを見て眠るのだ。だから、皺くちゃになってしまった頁がある。具

      • 第1回 2021年8月3日

         ぼくは忘れることができない。老夫婦が探しもののために荷物をあさり、受けとったものとともに詰め直す音を聞いて、ふと幼いころに行った海外旅行のことを思い出す。あのころはまだ両親がいて、姉がいて、それなりの家族のかたちがあった。いずれ崩れ、父は突然いなくなった。姉は地方へ働きに出て、ぼくは家を出た。この愛すべき家に残された母と猫は次第に抑うつを抱えるだろう。あのころ、病気を抱えたのかもしれない。その数年後にふたりともいなくなってしまった。おととしの7月に亡くなった母の部屋の机の上

        • 第0回 「雨のゆうべ──『失われた時を求めて』日記」

           昨年の夏、『失われた時を求めて』を手に取った。未来をなくし、喪にとらわれ、何も変わらない日々のなかで、まわりのことだけがどんどん過ぎてゆく、きっとそのことがおそろしくなったのだろうと思う。『失われた時を求めて』を読みながら、その都度日記を書こうと思い立って、匿名アカウントでnoteを作って、投稿した。そのまま時間が過ぎて、しばらくしたら、『文學界』で『失われた時を求めて』特集が組まれているのを知った。  運命論者の自分は、その符号に何かただならぬものを感じた。一方で、天邪

        マガジン

        • 雨のゆうべ──『失われた時を求めて』日記
          4本

        記事

          傘と蜂、薔薇の雫

           こんな夢を見た。喉が乾くほどの激しい口づけをしていると階下から私を呼ぶ声が微かに聞こえ、玄関に下げられたウィンドチャイムがけたたましく鳴り続けている。慌てて階段を駆け降りると、母が廊下に小さくうずくまっている。私は倒れた母を跨いで通り越し(視線を下に、罪悪感を感じながら……)、開いた玄関の目の前に立つ大きなカメラとマイクを持った男たちが、選挙と戦争の取材をしている、と言う。 「お宅の庭の花を切って使います」  一方的に突きつけられた無理な要求に、私は抵抗する。今年こそ薔薇の

          傘と蜂、薔薇の雫

          喰われたチワワとハナカマキリと耳のない男

          こんな夢を見た。中学校の教室に着くと6時間目の授業が始まっていた。7時間目には久方ぶりに裁縫をやるというが道具は持っていない。長らく休んでいたことの不安を抱きながら自分の席を確かめる私は、全く覚えのない数学の講義を聞く余裕もない。携帯電話も忘れたことに気づいて慌てふためいている。「いつだってバンドはやりたい」と言うと友人が名曲を作り出し、その熱意を前にして劣等感に襲われる。音楽室の鍵を勝手に開けて屋上に出ると見渡す限りーー球場の建物、市民体育館、恩田川と遊歩道のガードレール、

          喰われたチワワとハナカマキリと耳のない男

          音楽はいつだって帰ってくる──2021年ベストアルバム TOP10

          はじめに  2019年の中頃から昨年末まで、ひとつの喪失をきっかけに、音楽そのものをほとんど聴くことができなり、突然訪れた危機を前にほとんど諦めに近い感情を抱いていた。しかし自然と音楽はもどってきて、2021年、いくつかの音楽によってかつての自分が帰ってくるような経験をした。それは甘い記憶や豊かな過去であり、一方で、抑圧に対する怒りや憂鬱が呼び起こすものでもあった。パンデミックから東京五輪を経て、自らが大事にしてきたものが焼け野原になってゆく、そんな深い絶望を感じることが幾

          音楽はいつだって帰ってくる──2021年ベストアルバム TOP10