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第1回 2021年8月3日

よくふる、よくふる。九月の末の今日も、朝から、しとしとと雨である。外出の用を控えた人や働く方たちには、こう云っては失礼だけど、四時とも、私は雨が大好き……と云ううちにも、やさしく、冷く、しんみりと、うそ寂しい、この秋の雨は、古借家の軒の雨垂も、桂の葉の散り交る月の雫かとも思うのである。一風呂浴びて、雨の簾に、頬摺、わするばかり裏窓近い、二階に寝転がってた心持などと云うものは、しっとりと、さらりとして、木綿も絹の膚ざわり。負惜みではないけれども、われながら頼もしい。(…)やっぱり降ってる、しとしとと降って居る。これだけでは、小やみの間にぶらつきに出て、ざっと来たので、駆戻った形である。雨具を用意して又出ようか。先ず──煙草を──一服……

(泉鏡花「雨のゆうべ」『鏡花随筆集』岩波文庫)

 ぼくは忘れることができない。老夫婦が探しもののために荷物をあさり、受けとったものとともに詰め直す音を聞いて、ふと幼いころに行った海外旅行のことを思い出す。あのころはまだ両親がいて、姉がいて、それなりの家族のかたちがあった。いずれ崩れ、父は突然いなくなった。姉は地方へ働きに出て、ぼくは家を出た。この愛すべき家に残された母と猫は次第に抑うつを抱えるだろう。あのころ、病気を抱えたのかもしれない。その数年後にふたりともいなくなってしまった。おととしの7月に亡くなった母の部屋の机の上には煙草が一本、転がっていた。雨が降って、枕元にあった『鏡花随筆集』を手に取る。煙と雨が、あのころといまを繋ぐ。雨のゆうべ。

 コロナからオリンピック、小山田圭吾と小林賢太郎の退任、ルックバックの熱狂、オリンピックの開会式、自粛、「自宅を病床のようにして」という到底理解できない言葉、対応していると言いながら発生する病床不足、コロナと五輪の関係性の否認、強いられ失われた街の営み、ルックバックの修正──ぼくたちの生はどこにあるのか、ルサンチマンと集団ヒステリーのなかにしか、制度の奴隷となり、制度の番犬となることで得る自意識のなかにしか、ないのだろうか。どの立場であっても、制度のための制度の話しかしない。割りきれないものを抱え、反省し、学び、それでも生きてゆく存在である──かならずしも適応し、進歩するのでないとしても、それでもなお──ということが忘れ去られている。「正しさ」は絶対なのだろうか? 「正しさ」の前に、疲れた心を抱えてもなお「疲れた」と表明ができないことは、はたして「よく生きる」ために必要なことなのだろうか。
 ずいぶんといろいろなことが遠くなってしまった。ぼくが大学生のころ、東日本大震災が起こった。そのあとのSNSは、見るに堪えなかった。しかし、いまよりもずっとマシだっただろう。ぼくらが愛するカルチャーは絶望の淵にあっても、まだ死んでいなかった。あのころ手に取って途中で読むことをやめてしまった小説を、亡くなった母が読み終えることのできなかった小説を、ふたたび手に取ろうと思う。母は言った。

「寝る前に読むと気持ちよく眠れる」

 そう、これは眠ること、寝室の暗闇から始まる小説だ。

眠っている人間は自分のまわりに、時間の糸、歳月とさまざまな世界の秩序を、ぐるりとまきつけている。目ざめると人は本能的にそれに問いかけて、自分の占めている地上の場所、目ざめまでに流れた時間を、たちまちそこに読みとるのだが、しかし糸や秩序はときには順番が混乱し、ぷつんと切れることもある。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 1』鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、33頁

 ぼくが愛していたのは、そんな夜だった。そして続く一節。


私はただ、動物の内部で震えているような存在感覚をごく単純な形で備えているにすぎず、穴居人以上に無一物だ。しかしそのときに思い出が──それは私の現在いる場所ではなくて、かつて住んだことのある場所、これまでに行ったかもしれないいくつかの場所の思い出が──天の救いのようにやってきて、自分一人では抜け出せそうになかった虚無から私を引きだしてくれる。

(同書、34頁)

 虚無のなかにあって、思い出はときに、甘美な苦痛を与える。なんとか繋ぎとめていたものが崩れ去ろうとする一方で、忘れることができないぼくは移ろうもののなかで置き去りにされる。そこに救いはあるのだろうか。それはわからない。
 『失われた時を求めて』を読み終えるまで、そのときにあったことを、思い出されたことを。ぼくは何を忘れ、何を忘れることができないのだろうか。

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