もう会えないと思っていたけど、会えた話
”日本はもうすぐ春だよ。”
今年の2月頃に日本の友達から連絡がきた。
多分意味は深くなかっただろうし、その文章から何かを読み取ってほしいようにも思えなかったけど
でも、確かにしっかりと感じたことは
“春って何だっけ”
私の五感から春がするりと抜け落ちていて、皮肉にも桜の花びらのように散ってしまっていたことに気付いた。
かろうじて覚えていた肌感は、
寒い日もあれば、暖かい空気がもわっとしている日もあって、冷たい風やら生温い空気が交差している。眩しいほどの新しい出逢いもあれば、身が裂けるほどのさみしい別れもある。
知らない人のことなんて何も知らないはずなのに、春に出逢う人々は妙にみんな暖かく感じた。
そんな独特な季節の感覚を失くしていた、ということにもまったく気付かなかったほど、するりと抜け落ちていた。
日本を出てまだ一年半しか経っていないのに、何故あの春を忘れていたんだろう。
カンボジアには四季がない。ずっと暑い、基本晴れてる。
雨季乾季はあって、今は雨季なので朝夕はスコールが多いけど、基本的に暑いし太陽と毎日顔を合わせてる気がする。
朝ごはんを食べているときも、移動しているときも、仕事しているときも、ジュースを買いに行くかどうか迷ってサンダルを履いたり脱いだりしているときも、常に後ろから「やっほー」って話しかけてくる。
そして社会人になって、
あの先輩が卒業しちゃうとか、部活の後輩はあと3人は欲しいよね、とか、新しいクラス表をぎゅっとに握りしめ寂しく帰ったり、とかも無くなった。
そんなことをここ数ヶ月ずっと考えていたんだけど(考えて答えが見つかるものではないし、答えを求めていた訳でもないが)
先週、大学のクメール語(カンボジア語)の授業が修了した。
1タームしか通わなかったし、週5とはいえ1日90分の授業。
でもそれ以外の時間はひたすらクメール語を勉強していたおかげで、基礎の基礎のキくらいまでは読み書きできるようになった。
そして授業最終日の最後のとき、先生が「最後のことば」みたいなことを言った。正直あまり覚えていないし、その後すぐに用事があったから早く出ないとと焦っていたんだけど
でも、先生が「最後のことば」を話しているときに、ふと春の感覚がよみがえった。
”あ、これ春だ。めっちゃ春だ。”
その日の帰り道は、カンボジアの灼熱の太陽を背に、私の周りだけ生温い風に包まれていた気がした。
カンボジアで春と久々に再会した。