明かせた2019年
明けたというか、明かせたという表現の方がポジティブな表現だと勝手に思っているので、明かせましたおめでとうございますと言いたい。
香港で迎えた2018年。
「世界ってほんと広いなあ」と乏しい感想でスタートし
新卒で入社した会社を辞めて、
大学でクメール語(カンボジア語)を勉強した。
その間に日本にも帰ったし、サッカーW杯を観に2週間ロシア滞在もした。そしてネパールに行き、インドで死にかけた。
カンボジア産の材料を使用したオーガニックキャンドルを
自宅でもくもくと制作してイベントで販売したりオーダーいただいたり。
今はクリエイティブ会社でデザイナーとして働いてる。
振り返ると、やりたいことしかやってこなかった。
振り返りきれていないだけで、
本当はもっとやりたいことをやってきたかもしれない。
去年の私に一言言えるなら「ありがとう」が良い。
いろいろなことをさせてくれてありがとうと、
それを応援してくれる人たちに出会ってくれて本当にありがとう。
でもまだ、まだまだやりたいことで溢れている。
モノ・コトづくりも手広く深くしたいし、世界を周りたいし、
歌だって歌いたいし、本も書きたいし、なんなら宇宙にだって行きたい。
口で言うのはとてつもなく簡単な訳で、しかしそれは絶対的に実現可能な訳で。
話は変わるけど、
私の周りには、本気で世界を変えようとしている人たちがいる。
いや、世界によって人が変わってしまわないように必死に動いている。
じゃあ世界とは何か、誰にとって善なのか、そして本当にそれは善なのか。
そんなことをすっ飛ばしてでも「いいんだ、とりあえずやるんだ」と
後ろ指に対し笑っているひとがいる。
何をしても、しなくても、批評で溢れている。
そのなかで、後ろ指どころか全方位から全否定、上からも下からも全力で押しつぶされる。
そういう中で、やれるとかやれないとかじゃなくて、やる。
そういう人たちが、歴史をつくってきた。
誠実にひたむきに狂っているひとは、周りに笑われながら、自分でも笑っている。
何が言いたいかというと、
今年も来年も再来年も、死ぬまでずっと動いていきたい。