宮澤賢治をめぐる冒険
書評:宮澤賢治をめぐる冒険 高木仁三郎著(社会思想社 1200円)
「科学者の出発点」説く
本書は、著者の二つの講演(第一話、第二話)と、結言となる第三話より構成される。
第一話は「賢治をめぐる水の世界」。賢治作品の多くで、水が重要な役割を担っていると著者は注目する。それは、<<クラムボンが笑づたり死んだりする川の中>>、<<銀河や太陽、気圏などと呼ばれた世界の/空から落ちた雪のひとわん>>であったりする。
最愛の妹トシは手の届かない所へ行ってしまったけれど、卜シと自分はこの宇宙の中でつながっているはずだ、という賢治の思念は、「銀河鉄道の夜」に結実している、と指摘する。地球は「水の惑星」と呼ばれ、水の存在こそが地球に生命をはぐくんだのだが、深層地下水の汚染、酸性雨等々、人間が生きるための環境が危ない、と叫ぱれるようにもなった。しかし、賢治にとっての水は環境以上のものだった。それは、<<一つの生命から次の生命につながる流れ、宇宙全体を満たす悠久の時聞の流れ>>と著者は見抜く。
私も賢治の地学にふれ、次のように書いたことがある。
<<霧の中を歩いてごらん。木の葉のにおいがする。自分はその大気を吸い込む。自分のはいた空気を植物が吸い込む。自分と値物は同一の体に思えるでしょう。四次元宇宙の霧の中をぷかぷか漂い呼吸しているすべての生き物・・・きらめく気圏上層の氷窒素、岩石を含むすべてが自分の体と思えてしかたがない>>
第二話は「科学者としての賢治」。著者の高木仁三郎氏は、原子力企業の研究者として開発に加わったが、今は反原発市民運動を手がける。冷たいプロの科学者の立場ではなく、一個の生命の立場からものを見る。科学者も、まず人間として涙を流し、オロオロ歩くところから出発しようと説く。高木氏は自分の科学者としての人生を、賢治の「羅須地人協会」へ投影し、賢治の心を解明してみせる。私は、本書の視点に共感を覚える。科学を人間的な場に引き戻そうとした賢治の冒険「羅須地人協会」は、現在の多くのブドリたちに受け継がれていく。
1995年5月28日,北海道新聞,書評に掲載した