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民族友好.vs.民族主義

ソビエト社会主義共和国連邦USSRは15のソビエト社会主義共和国(SSR)が自発的に同盟して作った国家です。構成共和国SSRは:
1.ロシア、2.ウクライナ、3.白ロシア(ベラルーシ)、4.ウズベク、5.カザフ、6.グルジア(ジョージア)、7.アゼルバイジャン、8.リトアニア、9.モルダビア、10.ラトビア、11.キルギス、12.タジク、13.アルメニア、14.トルクメン、15.エストニアの計15でした。
チェブラーシカさんのnote記事に,国民経済達成博覧会での綺麗な多数の写真があります.以下の写真はチェブラーシカ(2015年撮影)さんのnoteからお借りしました.

この噴水広場には、各共和国を代表する16人の黄金の女性像があります.なぜ16人かというと、15の共和国SSRの他に、カレリア自治共和国が加わっているからです.カレリアは共和国SSRの時代(1940-1956)もありました.
カレリア自治共和国は、現在も、ロシア内部の共和国に留まっています。

ソ連USSRは、ソビエト政権中央、15の連邦構成共和国、自治共和国・州(自治単位)の3層の構造をもつ連邦制でした。
共和国SSRごとに基幹民族が定められ、共和国のリーダーとして、マイノリティにも目配りし共存的な統治を行う形式です。ソ連共産党の中央集権的な規律があった頃は、この建前は守られていたのですが、ソ連末期では、長兄として利他的な統治をしなければならないことで、自分たちは損をしていると感じるようになり、民族友好の建前を重んじる共産党よりも、過激なスローガンを掲げる民族主義者の方が人気を集めるようになりました。

本編の記述は、以下から引用しています:

ロシア人も、自分たちがソ連全体の基幹民族であることに、被害者意識を持つようになった。ロシアSFSRのロシア人は、中央アジアやバルトやコーカサスとは縁を切って、天然資源を西側に輸出した方が自分たちは豊かになれると考えるようになったのです。
自分が他人より少しでも利益を上げようという世の中は、私は嫌いです。苦しくなるとそのような気持ちに世の中は変わります。現在日本も同様です。

ペレストロイカ期に、このような分離的傾向を強めたバルトや南コーカサスの連邦構成共和国では、民族主義者が指導権を握ると、ソ連中央の言うことは聴かなくなり、特に南コーカサスにおいては、域内のマイノリティの自治単位(カラバフ、南オセチア、アブハジア)に暴力的な攻撃を仕掛けるようになりました。(参考:p.50-51)

ソ連の連邦制を構成していたソ連中央、連邦構成共和国、自治共和国(自治単位)の3層の中で、中央が弱まると、連邦共和国が突出して強硬な状況になります。
ソ連は、15のソビエト共和国が自発的に同盟して作った国家であり、ソ連憲法は、15のソビエト共和国の離脱権を認めていましたが、自治共和国以下には離脱権は認められていませんでした。また、離脱の手続法は憲法に定めてなかったため、1990年4月3日、その法が採択されました:
連邦構成共和国は、住民投票を行って離脱できる。連邦構成共和国が離脱を決めた際にも、それに属する自治単位が住民多数の意志によりソ連に残るという権利も保証しました。
4月3日法が実施されれば、住民投票で、共和国内の自治単位でソ連残留派が勝てば、その共和国がソ連を離脱しても、自治単位はソ連に残留できます。そのような手続きを踏めば、その連邦構成共和国の面積は小さくなるが、より均質な新国家として生まれることができ内戦に苦しむことも避けられたのです。
分離志向が強かったバルト3共和国やグルジア、アゼルバイジャンSSRは「自分たちがソ連に組み込まれたこと自体が違法なので、自分たちが目指しているのはソ連からの分離独立ではなく、ソ連に占領される前の原状の回復である」との主張です。独立した共和国の中で、4月3日法の手続きに従い、住民投票で独立したのは、共和国のソ連への帰属を違法占領状態とは考えなかったアルメニアSSRのみでした。(参考:p.52-54)

本国、植民地の2層構造(この場合それぞれの層の切れ目は重なる)だけの植民地帝国の独立と、3層構造をもちそれぞれの層の切れ目は入り組んでいる(割れにくい)場合とでは大違いです。ベラルーシ、アルメニアなどは、均質で下位自治体を持たないSSRですが、下位自治単位はソ連という国家への帰属を前提に上位共和国に服従していたにすぎず、特に、カラバフのように上位共和国アゼルバイジャンと潜在的対立を抱えていると、万一の際はソ連中央が介入・仲裁してくれるということが安全保障がなくなります。1991年1月にクリミアが住民投票を行って、クリミア自治共和国を復活させたのは、キエフ(ウクライナ共和国)に対する交渉能力を増すために、この3層構造を作り出すのが目的でした。
ソ連邦構成共和国はSSRの継承者ではなく、ソ連が占拠したものだと主張するなら、連邦共和国SSRで持っている領土との矛盾が出てきます。例えば、リトアニアRSRやウクライナRSRでは、次のようなことになります:ヴィルニュスをポーランドに返す。クリミアをロシアに返す。ハルィチオをポーランドに返す。トランスカルパチアをハンガリーに返す。(参考:p.54-56)

ゴルバチョフの構想は「刷新連邦」(ソ連をEUのような国家連合にする)でしたが、12月1日のウクライナの国民投票でウクライナが独立を決めたことで成り立たなくなり、ソ連の解体、独立国家共同体CISが発足しました。
以下に続く⇓

(補足)最近、以下のnote記事を見つけました。このような記事は、もう一度探そうとしてもなかなか見つからないものですので、ここにリンクを記録しておきます:


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