どうも裕本恭です。
どうも裕本恭です。
改めまして、私=深夜ガタンゴトンの紹介です。
ムトコウヨウと星さんの話と続き、そういえば、そもそも裕本って何だ?深夜ガタンゴトンって何だ?ってお話です。
ざっくり紹介
まず、裕本恭と深夜ガタンゴトンっていうのは、西川貴教さんがTMRevolutionと名乗るのと同じ認識で大丈夫です。
前身は劇団東京ペンギンでした。2010年〜2015年の約5年間、代表、脚本、演出を努めておりました。
解散後のソロユニットということで、深夜ガタンゴトンがあります。
その間、花まる学習会王子小劇場のプロジェクトディレクターも勤め、名前も全然知られてないですが、実は小劇場歴だけは意外と長いんです。
その後、劇団時代に抱えた負債が原因で、サラリーマン生活を余儀なくなれ、塾講師、財団職員を経て、現在は電機屋(みなさまが想像するような家電とかではなく、建築現場や工場に電機機器の材料(いわゆる電材)を納品する仕事)に勤めております。自分で言うのも変な話ですが、トラックも運転するし、Adobeを使って映像も創るし、助成金等の文書も書きますし、中学全教科教えますし、格好良く言えば肉体労働から頭脳労働まで一通りこなすハイブリッド人間です。悪く言えば器用貧乏です。
抱えている思い
高校時代から演劇部に入り、野田秀樹さんの影響を受けて、クロムモリブデンに憧れ、現在核となっているのはテネシー= ウィリアムズです。
天才になりたかったんですが、そうはいかないと分かってきたって感じですね。同世代は、根本宗子さんや朝井リョウさん(小説家)になってくるので、もはや夢を捨てきれないゾンビという負い目を抱えておりました。
これからの話
さて、あまり過去の話をしてもしょうがないので、これからの話をしましょう。
これからも働きながらも年に2回ぐらいのペースで定期的に公演ができたらなと考えております。結局、世の劇団の作家さんはテレビやラジオの資本のある外部の仕事で書き物を生業とし、自劇団の公演を打つというのが主なので、あんまりそれと変わらないのかなぁという感覚です。
作家としては、悶えながらも闘っている人を描き続けたいのかなぁと考えております。個人の物語から世界を描くというのが基本スタンスです。
次回作は、「フェミニズム」に取り組みたいなと考えております。伊藤詩織さんの件と岡村隆史さんのラジオの件、僕の中では同じ問題だと考えております。
資本主義社会なので、どうしても分かりやすい言葉を使わざるえないですが、おそらくこの2人の行動ってのはもっとじっくり考える機会が必要だなぁと考えております。そういうのに触れる機会をつくるのもある種作家の役割のひとつなんじゃないかと。
アーティストとしてのスタンスは昔からサカナクションの山口一郎さんを参考というか尊敬しております。
マイノリティとマジョリティのバランスを取りたいと彼らは常々話しておりますが、それは本当にそうで、アーティスティックな印象を持ちますが、実際、「新宝島」は80年代歌謡のパロディであったりするので、「芸術性と娯楽性のバランス」は本当に優れているんだなと常々思っております。
まだまだ私の紹介はあやふやですが、今日はこんなところで。
最後に深夜ガタンゴトンのコンセプトムービーをご覧いただけたら幸いです。
みなさま、よろしくお願い申し上げます。