20代は何の影響を受けているのか?そしてこれからは?
どうも裕本恭です。
おそらく、自宅で外出自粛をしている方が多いと思います。
こういうとき、時間が空いても、なかなか気持ちが落ち着かないもんだなと。みなさんはいかがでしょうか。
さて、「私たちは何の影響を受けているのか?」最終回。
「20代は何の影響を受けているのか?そしてこれからは?」
今回、年表を作成したときに、20代ぐらいから全く小劇場の部分を埋めることができなかったんです。
それはおそらく下の2つのことを強く感じたからできなかったのかなと考えております。
①現在進行形の情報を記録することの重要性
②多様性ではなく、トライブ化が進んでいる
今回のキーワードはこの2つになっていくでしょう。
「トライブ化」に関しては下記の記事をご参考にどうぞ。
トライブ化ってのは簡単に言うとそれまでのトップダウンの組織体型から、横に広がるそれぞれの得意分野や好きなものでつながっていく組織のようなものです。
それでは、いってみよう!
2000年以降の演劇
もはや小劇場という言葉が何なのか分からなくなってきますが、商業的な分野では、2.5次元演劇というものが登場します。
2003年に東京芸術劇場で、テニスの王子様ミュージカル、いわゆる「テニミュ」というものが登場します。もちろんそれまで、宝塚歌劇団が「ベルサイユのばら」を舞台化したり等、メディアミックス(演劇と他のメディアの融合)というものは存在しておりましたが、爆発的にヒットをし、なおかつ市民権を得たのはここ数十年のお話かと思います。
実際、小劇場で活動していた劇作家や演出家がこの2.5次元のフィールドで活躍されております。
一方で、アート界隈が活性化していきます。
演劇的な話をすると、脱ドラマ化、脱劇場化なんてものも進んでいきますし、ままごとの「わが星」に代表されるような手法に重きを置いた作品も広がっていきます。
そして、各地で、「地域×芸術」を旗印にトリエンナーレや芸術祭、アーティストインレジデンス等が急速に広がっていきます。
この界隈は僕自身が詳しくないので、
こちらをご参考にしていただければ。
ざっくりとまとめると…
商業は分かりやすいもの、見たことあるもの具現化という流れができていき、(これは技術が進んで、本当にできるようになったというのもあります。仮面ライダーの舞台の変身シーンとか本当に変身しております。)アート界隈では、何か社会に新しい価値を提示するといったという風になっていきます。
無自覚にトライブ化していく
歯切れの悪い文章で申し訳ないです。これには原因があって、トライブ化というものが進んでいるんですね。そして、多様性という言葉が叫ばれている時代において、無自覚に「特定のモノを指しているのに多様化」というものを推し進めてしまっているし、認知のズレが激しいということを改めて感じられたからなのです。
例えば、さっき藤原ちからさんの記事を参考に出したのですが、彼が言う「小劇場」というのはほんの一部なんですよね。とくにアート界隈が中心となっているのです。そして、僕が指す「小劇場」というものには基本的には自分のいた劇場「王子小劇場」界隈が中心になってくるのです。
無自覚に情報が限られてしまっているのです。
社会学者の宮台真司氏のいう「トライブ化」というのが進んでいるのではないかと思います。スクールカーストというものも、実はカーストではなく、横一列に「共感しあうもので集まる集団」がそれぞれ形成されていくようになってきているんです。
だから、多様性という言葉を使うとき、本当にそうなのかというのを今一度振り返る必要があるんじゃないかと思うんですね。
YouTubeを見ていてもいつの間にか自分の好きなものしかトップ画面に出てこない時代なんです。好きなものばかりですが、それぞれは違った形をしているので、一瞬、多様性に満ちていると思ってしまうのです。
だから、20代が影響を受けているものは何なのかって考えたときに、彼らが生活してきたトライブによって大きく異なるのではないかということです。そしてそれは昔から生まれと育ちで、人が見てきたものが違うと全く同じなんですが、ITの発展もあり、その量が膨大になっているのです。
なぜアート界隈が強いのか?
なぜアート界隈が強いのかということを考えたとき、彼らは文章に残すことをやり続けたからではないでしょうか。小劇場を指すときに、アート界隈の資料の方がアクセスしやすいのが、彼らが創作を行うために、助成金を引っ張るために、何度も文章を書いてきたというのが大きいのではないだろうか?
一方で、僕が塾講師時代に体験したこととして、今の中高生はびっくりするぐらい文章を読まないです。例えば、Twitterを見る中学生とか眺めていると、とりあえずビジュアルにインパクトのあるものをザッピングするんですよね。
なるほどなーって思った瞬間でした。
商業的な価値を生み出すのは、これからビジュアルの方が圧倒的に強くなっていくでしょう。しかし、その記録が文章に残らないと何をしてきたのか伝わらないのではないかと危惧しております。
いちばん合理的に物事を考える20代
トライブ化というものが進んできて、無自覚にお互いのことを知らない状態が進んできて、そこに何か大きなイデオロギーを持ち込もうとしても難しい話なのかもしれません。今回のコロナの一件を見ていても、何かいまいちまとまらないなぁと感じるのはこの辺りに要因があると感じております。
ただ、20代の演劇人というのは、純粋に創作環境を求めており、そのために手の届く範囲でやりくりをしているのではないかと感じております。
昨今、話題になっていたハラスメント問題に関しても、それは「創作に関係ないものである」と言い切っているのです。おそらくそれは50代60代に理解はされないだろうし、30代40代は間で苦しむであろうし、若者が今、いちばん合理的に物事を考えられているのではないかと感じております。
私自身は、売れた同世代の名前とか見ると未だに死にたくなるような気持ちになりますが、もしかしたらそういう嫉妬のような感情も創作においてはノイズと割り切れているのかもしれません。逆に私は未だに一昔前の「売れる」という呪いの価値観に縛られているのかもしれません。
企業が「体感」の価値に気づきはじめ、ビジネスは体感型にシフトし始めております。(今回のコロナの件で自粛となっておりますが)
結局、人は物事を共有し体感することに喜びを感じる生き物であるという根幹的な部分は変わらないと思います。
そのやり方が、これから本当に多様に増えていくと思います。
全てを網羅することはできないでしょうが、少しでも間口を広げることが、これからの演劇というより、世界全体で必要なことだと思っております。