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日本人が知っておくべき”日本の源流”「神道」の正体とは何か
先人たちは、自然とのかかわりの中で、生活を営んできました。
自然の力は、恵みを与える一方で、猛威もふるいます。
そんな自然現象に、目に見えない不思議な力を感じました。
自然とは、調和するものであり、制御するものではなく、ましては、人に都合よく手を加えるものではない、という価値観に基づき、自然と調和する生活を送ってきました。
アメリカから、社会学の研究者が来日し、「神道」という言葉を英訳するのに困りました。
神道は「宗教」ではありませんし、「教祖」もいなければ、「教典」や「教義」もありません。
生活や季節と共に営まれていますので、「神道」を「ジャパニーズ・ライフ」と名付けました。
「神道」は、日本の暮らしの中から生まれた、信仰といえます。
「アニミズム」が一番近い表現です。
万物、存在するもの全てに、「霊魂」が宿っているという考え方であり、「八百万の神」と表現しています。
「八百万」とは、無限に近いたくさんの、という意味があります。
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「神道」には、清浄を尊ぶ、という、生活習慣があります。
水は全てを清める、という価値観があり、お風呂に好んで入りますし、神社で参拝する前には、「手水」で心身を、清浄にします。
また、「顔を洗って出直す」「水に流す」などの、水は全てを清める意味の言葉もたくさんあります。
清浄を尊ぶ生活習慣の奥にあるものは、「もともと、人は素朴で純粋な存在」という性善説です。
汚れ、罪・穢れは、付いたのであれば、洗い清めればよい、と伝えているのです。
自然の中で、循環しながら続く、生命の尊さを実感し、あらゆるものを生み出す、生命力も、目に見えない不思議な力の働きであると感じた先人たちは、山や岩、木や滝などの自然物を、不思議な力の代表的なシンボルとして、まつりました。
その後、建物を建て、共同で、まつることができるようにしたのが、神社です。
自然と調和する生活を送ってきた先人たちは、季節と共に、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するための、「祭り」を行うようになりました。
祭りをとおして、自然と人間とがともに生きていくこと、地域社会の和を保ち、一体感を高めること、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには日本や世界の、限りない発展を祈ることを、次世代に引き継ぐ意図も持ちながら、祭りという「形」にして、現在に遺しています。
神社で「四文字熟語」として見かける、代表的な言葉がふたつあります。
「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」と「敬神崇祖(けいしんすうそ)」です。
「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」
「清(浄)き」「明(あか)き」「正しき」「直き」心のことで、神道の根本を表わす言葉のひとつです。
私心のない、清らかで澄んだ心が、個人や社会にとって大切である、ということを示しています。
神道において人は本来、「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」な、清らかな心を持つと考えます。
しかし、澄んだ鏡でも放置すると曇ってきてしまうように、人も日常生活を送るうちに、その心から離れていってしまうものです。
その心をもとの「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」な心に立ち返ることが必要ですよ、ということを伝えています。
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」
神を敬い、先祖を尊いものとして扱うこと、という意味です。
自然万物に継承された「想い」に対して、一貫した生命の流れが、断絶することなく、今の私たちに受け継がれているという、畏敬の念と、深い感謝を表しています。