脳出血で倒れた2年前。病院から施設へ。落ち着いた。症状も。言語障害残るが意識は戻ってきた。記憶も。ただ身体だけはベッドに横たわるしかできない。そんな母が「もう、いい。早くお迎えが」と泣いた。その時かける言葉はなんだろう。希望や励ましの言葉はどこで使うのだろう。ただそばにいた。
エレベーターに乗る。 居合わせたお父さんと娘さん。 娘さんは中学生になったばかりか。 エレベーターの中は無言。 そして無言のまま二人は降りて行った。 お父さん、かけっこしようよ。 お父さん、蓋開けてよ。 お父さん、誰誰くんが床にお絵描きしてたんだよ。 二歳の娘は今は私に話しかけてくれる。 いつかこの光景が思い出となり 娘が成長して 無言の時間が増えていくことを想像し ヒリついた。
りんごが食べたい バナナが食べたい パンの上にあるチョコレートを舐めたい ジュースが飲みたい 2歳の娘 怯むお父さん 無垢の欲望の怖さ いつか尽き果て納める心 それは寂しいと 先のこと考えて遠い目となる
娘が生まれてから暫く経って一緒に寝ることを控えた。夜中の寝不足で仕事に支障があったからと言う理由だが今となっては後悔である。最近一緒に寝るようにしたが夜中グズり出すと「お父さんリビング行って!」と叫ぶ。収まらないから枕をもってリビングに。娘は覚えている。。
2歳の娘。寝室にて。「お父さんはリビングに行ってください!」と。パパイヤなんだろうか、本当は嫌われてるだけでは。心当たりあるのかと言われるとわからない。言う通りにリビングに行くと猫が寄ってくる。言われたかあと言う顔で。何故だろう、今日は猫が大きく見えた。。
2歳のイヤイヤ。保育園朝行くのに時間がかかる。今日の朝、妻ととあることで険悪になる。突然、娘が保育園行きたい!と言い出す。食卓を降り、玄関に向かおうとする。この場にいたくないと思わせてしまったと同時に空気読めるのかとも思った。
娘が起きている時間に帰ることができると娘は玄関に迎えにくる。お父さんと言って。最初は帰ってくることを喜んでいるのかなと思ったら私の手にある郵便ポストから取り出したチラシを奪い、お手紙、お手紙とはしゃぐ。それが何日も続くので出迎えているのは私が持って帰るチラシだと思うようになった。
アンパンマンにハマって半年は過ぎた。テレビはアンパンマンを求め、おもちゃではアンパンマンでテンション上がる。そんな時ついに横浜のアンパンマンミュージアムに行く。 ミュージアム前の大きなアンパンマン像。ポーズを取ってカメラに収まる娘。開場前の行列。我慢できずに駆け回る。三階のアトラクションに来て一目散に向かったのが何故か工作教室。 目も口も描かれていないアンパンマンとバイキンマンの顔を模った紙に自分で目と口を書いて楽しむ工作のようだ。 どちらかを選ぶとなり娘はバイキンマン
朝起こす。イヤイヤと私の身体を押す。 ご飯を食べさせる。イヤイヤと口を開かない。着替えさせる。私が選んだ半袖を指差しイヤイヤとシャツを放り投げる。 気を取り直して歯磨き。私の膝の上に娘の頭を乗せた瞬間イヤイヤと回転しながら立ち上がりお母さんの元へ行く。 平日はずっと仕事遅く、朝の食事、保育園送りぐらいしか会わない。意識や記憶が出てきて私のことに親近感が抱けなくなったのか、時間が少ないのは言い訳でそもそも娘とコミニュケーション取れているのかと葛藤する。 保育園へ向かうた
好きなおもちゃは変わる。 好きなテレビも変わる。 叫ぶぐらいに見ていた電車も今では 怖い怖いと言う。 好きなものがブラッシュアップされていくんだろうか。 色々変わっていくのは成長の過程だろうか。 娘と二人ホームで電車を待ちながら思っていた。 私も好きなものを色々乗り越えてきてここまで来たのだろう。小さな頃何が好きだったかもう思い出せないけれど。 思春期に好きになったものは追いかけはしないけれど目にすれば本だったら手にするし、音楽だったら聴いてしまう。感受性が強いときに撃
自分の子供時代と比べるのは悪いクセだ。 そう思いつつも家に帰って 新しい娘のTシャツが何枚か干されているのを見て思う。 妻が買った。「かわいいと思って。また大きくなるから今のうちに着せたいものを」 上に兄がおり、ほぼお下がり子供時代だった私。 服は受け継ぐものだと訳もなく 受け入れていた。 そのせいかどうか、自分で買えるようになった以降も増えすぎると不安になる自分がいて季節の折々で整理していた。 何故不安になるか。 着る服を考えるのが面倒くさい、選択肢を増やす
肌寒い日が続く。 夏の手前の5月は暖かさから少し暑さも 加わって出かけるにはいい時期。 6月は梅雨がある。梅雨になる前に 行けるところに出歩く。 それが私の5月だったような気がする。 雨もよく降る。 どんより雲の空をよく見る。 娘の保育園。朝の支度。 上着を着せるかどうか 迷うということは暑くなるとは 踏ん切れない5月がいる。
10歳ぐらいのとき視力がガクっと落ちた。 当時流行ったファミコンのし過ぎだと思った。ただまだメガネしなくても生活は送れた。 中学生、視力低下は進んだ。黒板の文字は前の方に座らないと見えないぐらいだった。席替えでは積極的に前に座ろうとしていた。 高校生、メガネを眼科で作った。乱視も少しある。授業のときだけメガネかけた。眼科で作ったメガネが私からするととてつもなくダサく見え自意識過剰バリバリの高校生では着けるのを躊躇せざるを得なかった。 大学生。コンタクトにした。使い捨て。
ゴールデンウィーク。家族で上野動物園に。撮影希望でなければパンダを見ることが出来るようで見た。大きなパンダに怖い怖いと娘。続いてゾウさん。最近動物ではゾウとゴリラにテンション上がっている。 「ゾウ!パオーン!」と柵の前で見ている人が場所を開けるぐらい大きな声で叫ぶ。パンダより大きいが怖がらなかった。次はお猿さん。アーイアイという歌が猿の歌だと理解しているようでアーイアイ、アイアイ!」とこちらも叫んでいた。ゴリラは夕方だったので自分の部屋に戻る時で少ししか見れず。それでも娘は自
駅を降りラーメン屋に入る。 自動券売機の前、普通か大盛りかの選択肢。昔から麺料理は大盛を選びがちだ。 麺は食べやすい、スルッと行ける。 そのスピードを考えると 普通ではあっという間で食べている気が しないからではないだろうかと考える。 ご飯をつける。ラーメンだけだも寂しい。 特に夜はご飯を食べて食べた気がする。 ラーメンはおやつと捉えてしまうのかもしれない。 トッピングは煮卵だ。表面に浮かぶ 絵面に卵の黄身が映っているかどうか、 あるだけで華やかに感じる。また単純に卵が
娘はパンが好きだ。 離乳食後期になり一度パンを口に 入れた。それからパンが 出るとパン!パン!と言って テンション高めに出る。 好きなものばかり食べさせたい。 幸せそうな顔を見ていたい。 そう思うも妻はバランスを考える。 与えすぎてそれしか 食べなくなったらどうするの? と言われたのであげたい気持ちを 堪える。 週一回だけ朝パンを出すことにしている。 おこさない限り普段は寝ている娘。 起きてもなかなか起きあがろうとしない。 妻が「今日はパンだよ」と耳元で囁く。 するとど