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フィジカル先行型幸福論への転換~生成AI時代における幸福論のあり方~
はじめに
生成AIの急速な進化により、知的作業が自動化され、人間が今までに割いてきた諸々のリソースの配分の変更を余儀なくされつつあるものと理解している。
さらに過激寄りの表現をしてみると、精神的活動がAIに代替される状況となった。頭の中であれやこれやと考えていたことは120点とまでは言えないにしても78点くらいの出来栄えでAIが生成してくれる。
厄介なのがこの「78点くらいの出来栄えの成果物」を「コスト的にはほぼ100点に近い理想のそれ」によって実現されてしまうことである。コストがゼロに近づくことはすなわち人間側の存在意義を根底から覆すことを意味するわけで、法律によって定められる最低賃金くらいまでであれば譲歩しますよと胸を張っていた人間側が胸を張れなくなったということである。
そのような状況下においてなお人間側ができることと言えば「文字通り本当に肉体を用いて胸を張ること」くらいではないか。AIは物理的に胸を張ることができるか?という問いの設定をすることが必要となる。
その問いに対する答えもまた近いうちに「もちろん可能です」となるのかもしれないが、とりあえず、これを書いている2025年2月3日現在における一定の方向性を確認しておきたいと思ってこの文章を書いた。
なお、もちろん、言うまでもなく、この文章もAIの力を借りて書いている。せめてもの抵抗として、背筋を伸ばして、あるいは胸を張って、姿勢を正すことによって人間としての尊厳を示そうとしながら作文活動を行っている。
1. 生成AIの進化と知的労働の自動化
生成AIは以下の点で知的作業の自動化を実現している。
知的労働の効率化
AIがデータ処理や文章生成、創造的アイデアの提示を担うことで、人間が従来費やしていた精神的リソースが大幅に節約される。これにより、精神的活動の役割は相対的に縮小する。精神的活動の外部化
複雑な判断や意思決定、創造性がAIに委ねられると、人間は直接の精神的労力をあまり必要としなくなる。結果として、精神の安定は身体的体験や健康状態に大きく依存するようになる。
2. フィジカル先行の幸福度定義の論理的背景
生成AIによる知的作業の自動化は、従来の「精神的充足」と「身体的健康」の均衡モデルに変革を迫る。以下、その論理的考察(のようなもの)を示す。
精神活動の代替可能性
AIが精神的判断や創造性を担うことで、個人が深い内省や認知的努力を要する場面が減少する。精神の安定は、運動や適切な栄養、休息などのフィジカルな要因に依存する。身体性の不可避性
人間は生物学的存在であり、身体状態が脳機能や情動のバランスに直接影響を及ぼす。AIにより知的作業が自動化される中で、身体を通じた直接的な体験が幸福の根源となる。
3. 社会構造の変容と身体性の再評価
生成AIの普及は働き方や生活様式を変革し、フィジカル先行の幸福度定義を支持する。
労働環境の変革と身体的余裕
AIによる業務自動化で労働負荷が軽減され、自由時間が増加する。これにより、身体活動や健康管理、アウトドア体験が幸福感の向上に寄与する。と考えがちだが、果たして本当にそうなるのだろうか?デジタル化と身体の疎外問題
一方で、デジタル技術の進展は座りがち(篭りがち)な生活や運動不足を招く傾向にあると考えられる。精神活動がAIにより補完される中で、強化すべきであるフィジカルの向上から遠のくとの皮肉的な状況に陥りそうであるから、意識的なフィジカルケアの重要性が高まる。
まとめ
生成AIは知的作業を自動化し、従来重視されていた精神的充足の役割を低下させる。一方、身体的健康や直接体験が幸福の基盤として再評価される。これにより、今後の幸福論はフィジカル先行の視点に基づく新たな定義へとシフトする。
敢えて抽象的な結論を示すとすると、「君たちはどう生きるか」との哲学的な問いと四六時中向き合う必要があるという従来とはまた別の「残酷な」生活になりかねない。あるものから解放されることの代償として、別の課題と向き合うことになる。向き合うべき課題が秒単位で変化する時代に突入するのだろう。