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「震える舌」(1980)


オープニングから各所で流れる、バッハの無伴奏チェロ組曲が優雅でかなしくて、耳に残る。

小児病棟では、光や音の感覚刺激が不用意に起こされる。そのたびに何度も発作を起こし、仰け反って血を吐いて苦しむ娘に、父親は「もし、お前が死んだら お前が何も悪いことをしないのにこんな苦しいめに合って死んでしまうなら お前だけを愛してやるからね お前だけを お前を救えない俺がしてやれるのはそれだけ」と言う。
娘がまだ病に侵されていなかった頃の、平凡で幸せだった日々の回想をしながら、両親はそれぞれ、外で元気に走る小学生たちや、病院の新生児室で看護師に抱かれる産まれたばかりの赤子を眺める。
近くにあるのに決して手の届かない未来を他者に見て、自分たちと、あの時当たり前に続くと思っていた過ぎ去りし平穏な日々のあまりにも残酷な乖離を表現しているのだと思った。もう娘はダメかもしれない、という絶望を、自己犠牲的なセリフではなくてこういうシーンで表現しているのがとても良かった。

母親は昼夜問わない看病に憔悴した身体で、娘の発作を記録し始める。どう発作が起こったか、注射はいつ打ったか。記録したところで、発作は防ぎようがないのだけど、すがるように書きつける。簡易的な絵で記録されたそれはまるで3人にだけ理解出来る暗号のようで、わたしは、これは呪文なのだと思った。娘と自分たちを蝕む、得体の知れない化物への呪い。

(⚠️ここからネタバレあり⚠️)

病状は深刻化し、いつ何時でも突発的に怒る発作のせいで眠れもしない幼い娘の顔には真っ黒な隈ができ始め、絶えず吐く血で唇はひび割れている。
この娘の衰弱した様子に、わたしは萩尾望都の「半神」を思い出したのだけど、発作で仰け反る様子含めエクソシストを思い出す、と言っている人も多くいた。確かに、生死の境目から最後すんなりと回復して元気になる結末はエクソシストと重なる。

最後まで、もう末期だから呼吸器も外して楽にしてあげよう。ということなのかもしれない、、と思っていたけど、本当に回復したようでホッとした。
何となく、これとは違うエンディングもギリギリまで用意されていたんじゃないかなあと思った。

「トラウマ映画」と話題になっていて知ったが、雑なカテゴリからは想像できないほど繊細なシーンもたくさんあった。観てよかった。

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