僕らのラフテルは深夜ラジオ2
こんばんは。今日はこんな深夜に記事を書くのは初めてですから、深夜特有のテンションで書いてしまうかもしれないですが、後で見返して何を書いてるんだと自分でもならなにように書いていこうと思います。
そもそも前提として、僕はバラエティ番組のことをテレビと表現しています。テレビの報道番組はいろいろプロパガンダ的な要素も入ってくる可能性もありますし、社会情勢や情報を知るためなら今の時代SNSで十分ですから、僕にとってのテレビという表現には含まれていないという事を念頭に置いて書いていこうと思います。ただ、テレビの情報番組の著名人によるバイアスがかった意見を参考にするならば、見る必要もあるとは思いますが、現状僕は報道番組は見る必要がないと思っています。しかも、コメンテーターというのは番組から求められ、テレビで放送できる範囲の言葉でしか表現できないわけですから、今の時代著名人の意見でもSNSを活用したほうが実意見なのではないでしょうか(もちろんそうじゃない場合もありますが)。
僕が前回説明不足だったんですけれど、僕が色々勉強した上でテレビの時代は終わっていないと思っていたと書きました。その理由について、何も言及していなかったわけですから、読んでくれた方は疑問に思ったのではないでしょうか。
僕がテレビの時代が終わっていないと考えていた理由はテレビは日常に笑いを生み出してくれるからなんですけれど、どうやら今のテレビは笑いを生み出すものでは無くなっていっているというのが事実ですし、フィクションを許容できない社会では、テレビの役割はもうなくなってしまったのだなと感じるばかりですね。だから、僕はテレビの時代は終わったのだと痛感しました。
そもそも僕にとってテレビとはバカバカしい事で笑ったり、次の日学校でそれを真似したり、テレビは学校では教えてくれないお笑いを教えてくれるモノでした。僕が小学生の頃は『ピラメキーノ』『ピカルの定理』『エンタの神様』を見て、お笑いを知りましたし、それを真似して学校で笑い合うということが僕は楽しかったです。もちろん、幼少期の僕にはテレビの世界が現実だと思っていましたし、それは大人になってテレビは嘘で、フィクションで、大人のおふざけであるということに気づくんですけれど、その気づきが重要なんだと思います。でも、そのことに気づかずにテレビを離れてしまった人々(テレビ社会からSNS社会へ転換)はテレビをフィクションだと気づかずにコンプラだとか教育に悪いとかテレビに対して抗議するんだと思います。テレビをフィクションだと気づかずに、テレビを見ている層が増えたというのも頷けます。ちなみに、僕はSNSで繋がるような友人がいないため、SNS社会に置いて行かれた人間なんですれど。
率直に言うと、炎上しそうですけれど、僕はテレビは面白ければそれでいいと思っています。というか、過剰な表現(ここではテレビのコンプラ)や、過剰な嘘(ヒミツのケンミンショー等)はそれが面白ければ許容されるべきですし、つくづく多様性という言葉にテレビは殺されているなと感じるばかりです。前回にも書きましたが、テレビをフィクションと許容できない社会ではテレビは必要ないですし、つまるところエンターテイメント自体が衰退していっているのではないかと感じます。では、なぜ社会はフィクションは許容できなく、リアルばかり求めるようになったんでしょうか。
それは、今の時代フィクションとリアルの区別がつきにくいからなんだと僕は思います。例えば、空飛ぶ車、宇宙エレベーター、ドラえもんはまだですけれど、そういうありえない未来が現実を帯びてきているからなんだと思います。しかも、今はあり得ない社会とあり得る社会の転換期で、一番曖昧な時代だからこそ、安心するために人はリアルを求めるんだと僕は思います。そして、これは多分昔も今も変わらないと思いますが、人は安心を求めると正論や多様性で武装しはじめ、自分が見たくないものを攻撃し始めます。前回の記事でも書いたんですれど、人に寄り添うのがテレビですからリアリティ番組とか企画とかを放送し始めたんだと思います。昔はあり得ない社会だったからこそ、フィクションや嘘が許容されて、はっきり現実とフィクションの区別があるからこそ、人々は物語を楽しめたんだと思います。
ここまで書いて、今の時代があり得る社会に転換しきった時のことを考えみたんですけれど、僕にとってはなかなか生きづらい社会になってしまうなと思います。たぶん僕の予想ですけれど、この社会は最終的にぺこぱの漫才みたいになると思います。だって、あり得ないことが存在しない世界ですから。そうだろう、・・・とも言い切れない。最悪、時を戻せる技術もあり得ますから。そもそも、今のお笑い界でぺこぱの漫才が存在すること自体その証だと思います。
つまり、その社会では、二重人格で生きていくことを余儀なくされるということですよ。
そんな世の中で僕らの笑い話は深夜ラジオしか残っていないですし、今回の事件は社会全体が責任を追及されるべきだと思います。もちろん、僕も含めて・・・