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【読了記録】今月読んだ本 ~24年8月編~
秋を近づけ
公益財団法人目黒寄生虫館 監修、大谷智通 著、佐藤大介 絵『増補版 寄生蟲図鑑 -ふしぎな世界の住人たち』
亀谷了氏が私財を投じて設立した寄生虫専門の私設博物館、目黒寄生虫館。その目黒寄生虫館が監修した寄生虫だけ掲載されたビジュアルブック。
内容自体は専門的な用語もあるが、基本的に誰が読んでも理解できるような文章だった。そもそも寄生虫自体が中々相容れない人の場合は苦しいかもしれない。そんな身の毛がよだつ様な寄生虫の生態が多く載せられているが、それに華を添えているのがスケッチ風のイラストである。誇張抜きのリアルな絵がまるで論文や学術書を読んでいるような雰囲気を醸し出している。
いつか実際に行ってみたいところである。
浦川通『AIは短歌をどう詠むか』
AI×短歌という本。著者は短歌AIの開発者で、如何にAIに短歌を詠ますかについて書かれている。短歌は御存知の通り五七五七七の31文字の定型があるが、その文字列を生み出すことすら苦心していた。途中Wikipediaの記事から五七五七七の文字列を学習データとして用いていたのは面白かった。加えてそれを基に生成していた短歌もどこか説明口調で、生成物が学習データに依存しているのがよく伝わってきた。AIとは時間を選ばずに接することができるため、作家の壁打ち相手としては優秀という。
個人的には短歌における「飛躍」がまだまだ、人間の出す飛躍とAIのそれとではまだ比肩していないという印象だった。逆に人間がどのように飛躍を生み出しているのかというのも説明できないほど難しい。私は短歌上の飛躍は連想ゲームのようなもの、と例えは出来るが必要条件であって十分な説明にはなっていないようにも感じる。AIを通じて短歌の奥深さを再認識できた。近年急速に発展するAI産業にも注視していきたい。
河野一隆『王墓の謎』
帯にもあるように、古代世界において豪華絢爛、あるいは最早全体像を把握できないほどの巨大な王墓が築かれた例が世界中にある。ピラミッドや始皇帝陵、日本では古墳が代表的で、世界最大級の王墓の大仙陵古墳や卑弥呼の墓ではないかという学説で有名な箸墓古墳などがある。これらは一般的に古代の王や支配者が自らの権力をアピールするために巨大な王墓を建てたというのが通説である。私もそう習った記憶がある。
しかし、その"王墓=権力の象徴"という常識(定説)に対して一石を投じたのが本書である。特に著者が提唱する神聖王、威信財経済という新たな視点は目からウロコだった。
神聖王は民衆により選出され、労働による奉仕を王墓造成という目に見える形にし、それを神への供物として贈与する。神聖王はあくまで民衆の代表という意味での「弱い王」だったのだが、その王墓が神へ捧げる葬送複合体として成熟が進むにつれて、王と民の精神的な隔たりがより顕著になってしまう。その後、神聖王も権威を振るう「強い王」へとなり、王墓もより私的なものへと変貌。王墓を造成する意欲もなくなり衰退するという過程だ。
威信財経済は富の集中を防ぐために埋葬し、リセットする役割を持つ。その威信財が現在の豪華な副葬品として扱われている、というものだ。
正直全体的に納得感は薄いが、自分は反論出来るほどの知識がないため一旦飲み込むしかないといった感じだった。眉唾ものという印象もあるが、意欲的な本だと思った。
この本を読み進めている最中に数年前に古墳から2m級の蛇行剣が発見されたことを思い出した。この剣は明らかに一人の人間が扱えるサイズ感でないため、祭事で使用されたと推測されている。これを埋葬した理由についても威信財としてなのか、その他の意図があったのか謎が多い。王墓含め文献資料の乏しい時代の歴史はまだまだ未解明な部分が多い。しかし古代のロマンはいつの時代も我々を魅了してくるのには変わりない。
堀元見, 水野太貴『言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ 言語沼』
読もう読もうと言って読んでなかった本。愛聴している『ゆる言語学ラジオ』のパーソナリティー2人が記した『ゆる言語学ラジオ エッセンシャル版』のような本である。動画のような対談形式で記している部分が非常に良く、2人の機知に富んだ愉快なやり取りをYoutubeと同じ感覚で読める。動画のスピード感が合わなかった人にはピッタリだと感じた。
フィラー(「えーっと」、「あのー」など)やオノマトペなど我々が無意識に使っている何気ない言葉にも説明できない事象が含まれているのが言語学の面白さである。私達は言葉を選ぶ基準があるのだがそれを言語化するのが難しい。それが説明された時の納得感もヒトシオで、本書からもその一端を味わう事ができる。
ユーモア溢れるトーク満載だが、内容はかなりアカデミックである点もこの本の魅力である。言語学が特にわからない人にも面白い一冊となっているのでぜひ読んでいただきたい。あとYoutube、Podcastもぜひとも。
水野太貴『きょう、ゴリラをうえたよ - 愉快で深いこどものいいまちがい集』
タイトルだけで「なんのこと?」となること間違いなしだが、子供の言い間違いを沢山収録した一冊である。著者は『言語沼』でも出てきた『ゆる言語学ラジオ』パーソナリティーの水野太貴氏である。ふふってなってしまうような可愛らしいものから、斬新な例えなど多岐にわたる言い間違いや独特な表現がとても微笑ましい。ここでいくつか紹介したい。解説などは本書を参照されたい。
「すぐに怒るのよくないよ」
「よくある!」
「きょうは麺が切れていまして…」
「ぼく、めんがきれててもいい!みじかくてもいい!」
「ブドウ買いに行ってくる」
「Tしゃつでぶとう会にいくの!?」
面白すぎる。実際に言っている情景まで浮かばれるような微笑ましさだ。これらの言い間違い、日本語の習得過程や日本語の新たな一面を言語学や認知科学の面から注目されている。本書の監修を担当している今井むつみ先生もこれらの言い間違いを「作品」と表現している。子供は推論立てて言語を習得すると言われているが、正にこの本に出てくる作品がその証左である。言い間違いを「愉快で深い」と例えるのは間違いでもなんでもない。学術的な内容を抜きにしてもほんわかとした気持ちになるので手にとっていただきたい本である。
専門的な用語も出てくるがこちらも推薦したい。
以上5冊。体調不良、古戦場、仕事の三重苦に苦しみながら執筆。もう10月が近い…