0からはじめたTwitter!3か月の心境変化を『十牛図』でまとめてみた
みなさんブログではお久しぶりですね。福本です。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
全然ブログ書かなくなりました。
Twitterも以前に比べると活発ではありません。
飽きたか?
いえ、飽きてません。
じゃあ、なんで?
知りません。
なぜか頻度が落ちているだけ。でも熱量を失ったわけではありません。
おなじような方、多いのではないでしょうか。
おなじだ!という方、最近投稿したこのツイートをみてください。
そう。
息をするように無理なくできること
もしかしたら我々は、
無理をしていたのかもしれません
事実、行動しているときは無理してるつもりもなく楽しめているはず。
しかし、知らず知らずの間に意識が高くなり『息をするように無理なくできること』ではなくなってきているのかもしれません。
直近のプレゼンブログでは、16000文字も書きました。
僕にとってはやりすぎだったんです。気合いが入り過ぎていました。息をするように無理なくできることではなかったんですよ。
等身大の自分に近づいていかないと、いつか全部がめんどくさくなってやめてしまう。
僕にとっての『息をするように無理なくできること』とは何なのか。それが一体『誰の価値になるのか』を改めて考えなければなりません。
そこで手始めに、この数ヶ月のTwitterに明け暮れていた自分を振り返ります。
目的は、おなじような課題にぶち当たってる人に、
あんたも無理すんなよ
と、やさしく肩を叩いてあげること。
さぁ、振り返ろう
そのまま振り返っても伝わらないと思うので、
今日は『十牛図』を用いて振り返りたいと思います。
なんだそれ?
正しい反応です。
『十牛図』なんて知らないですよね。それではまずは十牛図のかんたんな解説からはじめましょう。解説といってもWikipediaの引用です。
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されている。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)。
Wikipedia - 十牛図
そうなんです。『十牛図』とは、悟りに至る10の段階を10枚の図と詩で表したものなのです。
そして、10の段階にはそれぞれこんな意味があります。
1.尋牛(じんぎゅう) - 悟りである牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡(けんぜき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4.得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5.牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9.返本還源(へんぽんかんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
いかがでしょうか。おもしろいですねー。
振り返りに適してそうでしょ?
僕は振り返る時には、この『十牛図』をよく使います。
もちろん僕は悟っていませんし、悟りがなにかもわかりません。
だから、
みんなで悟ろうぜ!
とか、そういうことを言いたい訳ではありません。
十牛図はどのように解釈すればいいのか?
それでは、振り返るための十牛図の解釈です。
そもそもなぜ、牛なのでしょうか?
十牛図において本質的なことは、牛が真の自己を象徴することよりも、野牛を捕まえて牧い馴らしてゆくという牧人と牛との動的な関わりが「自己の自己への関わり」のリアルな類比になっている点であるという。
Wikipedia - 十牛図 - 牛が描かれる理由と本質
つまり、自分が目指している状態に対して、動的に関わっていくことで、
自分というもの本質に迫ることができる
と僕は解釈しています。
『十牛図』をそう解釈することで、自分が目指すゴールまでの長い道のりの大体どのあたりにいるのか、それを確かめることができるチェックシートのように活用できるのです。
今回はこの数ヶ月間の『Twitterに明け暮れる僕』を題材にします。
ことのはじまりは、『ブランド人になれ!』を読んで、Twitterを自分の目的のために使いこなしている状態を目指して、真剣にやろうと決意したことです。
あれこれ活動しているうちに、Twitterだけじゃまとめきれないと考えるようになり、noteという武器に出会いました。
Twitterやブログの更新を繰り返していくうちに、フォロワーが増えていき、自分というものが段々わかってきたというストーリーです。
1枚の図・当時の僕の気持ち・自分を俯瞰した意見をワンセットに10枚展開します。
そんな感じで振り返ります。
ではでは。
ツイッターとボクと、かなり、十牛図
1. 尋牛(じんぎゅう)
「『ブランド人に俺はなる!』と意気込んでみたものの、何をどうすればいいか全くわからないぜ・・・とりあえずTwitter更新してみっか・・・」
ブランド人になろうと決めたが、ブランド人になるための方法が分からない。本来、人には誰しもブランド人たる資質が備わっているが、人はそれを忘れ、すでに上手くいってる人と比較し、途方に暮れ、ブランド人から遠ざかる。
2. 見跡(けんぜき)
「どんだけ更新しても全然反応ないやんけ!これヤバイんちゃうん。これ原因は、俺がTwitterについて何も知らんからや…もっとTwitterについての方法論を調べないと!!」
ブランド人になるための方法論ばかりを追い求め、あーだこーだを頭の中で考えて、自己中な活動を繰り返す日々。誰の価値になるかを何も考えていない。
3. 見牛(けんぎゅう)
「おっ?!なんやこの反応は!今までにない手応えを感じる!!いまブランド人のケツがちょっと見えたぞ!これってもしかしたら、もしかするぜ!」
同じ失敗を繰り返す中で、見えてきた自分なりの方法。それをブログにまとめフォロワーが1000人を超える。キッカケをつかめた気になる。自分ができることで誰に喜んでもらえるのか、少しだけわかるようになった。
4. 得牛(とくぎゅう)
「キタキタキター!ほら、ブログ更新や!・・うっ!・・あっ?!なかなか・・手強い・・・この方がええか?・・・おっ!・・・これでどうや!・・・うっ!」
ひとつめのブログで大きな反応をもらえたが、単に内容がTwitterだったからハマっただけで、以降自分の考えをまとめて複数回更新してみたが、想定するほどの反応はとれず。段々何をやればいいかわからなくなってくる。
5. 牧牛(ぼくぎゅう)
「ふぅ・・・ようやく自分なりのやり方がわかってきた。安定して反応もしてもらえるようになってきたし、いい感じごっつええ感じ。」
酒を飲んでる時に、ひょんなことから何気なく投稿したつぶやきに大きな反応が。息をするように無理なくできる具体的なこと。自分なりやり方がわかってきて、気合を入れてその内容でブログを書き、狙い通りの反応が返ってきて確信を得る。
6. 騎牛帰家(きぎゅうきか)
「ピーヒャラピーヒャラ♪YO!YO!絶好調!息をするように無理なくできることをツイートするだけ!ブログじゃなくても反応もらえるぜっ!!!」
自分なりに無理なく情報を発信できる方法を見つけ、息をするようにできることが誰かの価値になることに気づく。そして気合を入れてブログを書かなくても反応をもらえ、徐々にフォロワーが増え、認知が広がる。いろいろなイベントにも呼んでもらえるようになり、当初の目的に近づいていく。
7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「今日もまた一日が終わった。悪くない一日。でもキレイごとばっかツイートしてる自分がサムくなってきた。普段の俺はこんな奴じゃない。じゃあこのツイッターにいる俺は一体だれや?」
上手くいっていないわけじゃない。ただオフラインの自分とオンラインの自分の違いに気づき、違和感を感じはじめる。ブランド人になろうとしなくても、そもそも自分の中にブランド人が存在していたことに気づきはじめる。
8. 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
「・・・・・・。」
考えれば考えるほど深みにハマる。オフラインでもオンラインでも自分は自分。特別な存在でもなく、ひとりの人間でしかない。いつもの自分。それ以上でもそれ以下でもない。考える必要がない。
9. 返本還源(へんぽんかんげん)
「これまでツイッターに出さないよう捨ててきた、普段の自分もまた自分。分ける必要なんてない。あぁ。自然であることは美しい。俺は、見たままの自然の美しさを自分の解釈で伝えるだけなんだ。」
ありのままの自分が見たありのままの世界。数字じゃない。無理せず息をするようにできることを、自分というフィルターを通して語るだけ。それが自然と数字につながり、目指している方向に勝手に進む。
10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ)
(時は流れ・・・)「Twitterの運用を教えてくれって?そんなもん知らんよ。1つ言えることは、ただその瞬間を楽しめばいいだけさ!」
何も作らなくていいし、無理もしなくていい、誰にどう思われようがどうでもいい。息をするように無理なくできることを、キレイなことも汚いこともそのまま出していくだけだった、という極めてシンプルな結論。
十牛図振り返りは以上です。
僕はこのように心境が変化してきました。全くおなじではないかもしれないですが、少なからず共感できる部分もあったかもしれません。
あなたがいまどの段階であれ、言えることはただひとつ。