「普通」を普段の生活で言いたくなくなった。でもこの映画のタイトルは、映画『ノーマルハート』

こんばんは!尚哉です。

昨日は内定式で、緊張もあったせいかホテルに帰ってすこっと寝てしまいました。あたたかくて、面白くて会社のことを「コミュニティ」としても大好きになれそうな予感がしました。

正直、ブログを書くモチベーションは下がっていて、書くのもしんどい、、、って思ってるのですが、新幹線でやることもないですし。書きます。

30日、東京に向かう新幹線で一本映画を観ました。タイトルは、『ノーマルハート』

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エイズが「未知のゲイだけの病」だった時代の話。

正直、LGBTを取り扱った映画はよく観ていると思っていたし、わかってるつもりでいたんです。でもそれは現代にある差別の話で、未知のエイズに対しての恐怖だったり、それに対して声を上げる恐怖だったり、「これからどうなるかわからない恐怖」をはじめて実感して結構衝撃的でした。

こんなに戦ってきた人がいたんだと。

勉強してきたハンセン病と近いものを感じましたね。差別の部分ではなくて、人間の得体の知れないものに対しての異常なまでの拒絶反応。

エイズのゲイの病気とひとくくりに差別と一緒にされて(そう思っちゃって)、対策が遅れてしまうこと(遅らされていると思ってしまう)こととか、本当に、、、やるせなさというか。

(やっぱり差別感情の哲学借りてこよう、、)

やっぱり単純な行き着く先なんだけど、知ることは大切で、知らずに自分のちっぽけな頭で考えてしまう、行動してしまってることの恥ずかしさが強い。食わず嫌いで見て見ぬしてるものに関してはしっかり見つめよう。

最近、つるちゃんの言葉と『彼らが本気で編むときは、』がきっかけで、「普通」という言葉を使いたくなくて。

「普通」っていうのは誰にとっての「普通」なのか、「普通」じゃないとされたものは「異常」なのか、とかぐるぐる考えてしまうんですね。

『彼らが本気で編むときは、』の、小池栄子の言葉は本当に心が痛かった。

でも、この映画のタイトルは『ノーマルハート』なんですよね。ゲイの心も普通の心なんだよ!っていうことを訴えているんです。たぶん。

それがまた切ないというか。いや、「普通」という言葉に過剰に反応してしまう弱い自分だから思うことなんですかね。

このタイトルが見た後でもすごく考えらせられましたね。

観て良かったです!

以上!



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