僕がゲイだとカミングアウトする理由2019
ブログのタイトル通り、僕、広瀬尚哉はゲイです。
仲の良い友達にはすでにカミングアウトしているのですが、このブログを見て、僕がゲイだとはじめて知るあなたがどんな反応をするのか気になります。
気になる、というか幸いなことに、僕は今までゲイであることに対して、大切な家族や友人から受け入れられてきたから、はじめて浴びるかもしれない辛辣な言葉が怖いのだと思います。自分でもよくわからないんです笑。
それでも僕がカミングアウトしようと思ったのは、僕が、僕の人生を歩んでいく上での起爆剤になると思ったからです。
今までもカミングアウトが僕の人生においての悩みであり、ずっとしたかったことであり、起爆剤だったと思います。
僕がはっきり、恋愛の対象が他の人とは違うんだと自覚したのは中学生のときです。
でも幼少期から「そう」だったんだと思います。
幼稚園のときは、お絵かきやおままごと、(これを言うのはなぜか恥ずかしいんですが笑)セーラームーンが大好きでした。レンジャーごっこをするときは女性のガオホワイトでした。
今年の年末年始に愛媛の実家に帰省したとき、就活用の自己分析のために幼少期の自分を知りたくて、お母さんと幼稚園の先生との交換日記を見せてもらいました。そこには、息子が女の子の好むものばかりを好きになるという悩みが綴られていました。
両親にカミングアウトしたのは今年の6月のことなので、この時は本当に胸が苦しくなりました。自分がゲイであることはお母さんにとっては悩みの種だよなと、余計に言えない気がしていました。
不思議なもので、女の子の好むものを好きだった僕もみんなと同じように、遊戯王やポケモンが好きになり、一人称も「なおくん」から「僕」へ変わっていきました。なぜか「おれ」とは言えなかったんですけどね。実は「おれ」と言い始めたのは大学生になってからなんです笑。
性はグラデーションといいますが、今は心は男だと思っています。声が高いこともあって、「女みたい」と言われることが多かった僕がだんだん自分を変えていった結果が今、なんだと思います。
人間って面白いですよね。
はっきりと自分の恋愛対象を自覚した中学はすごくネガティブでした。マイペースで明るい(と自分では思っている)キャラ自体はずっと変わっていないのですが、気の知れた美術部の仲間がいる美術室ではネガティブになれました。
カミングアウトは恐ろしくてできないものの、誰にも相談することができないと思っていた、不安定な心の拠り所が美術部だったんです。
高校では、もう自分がゲイであることを受け入れていたように思います。心に隙ができないほど高校生活は楽しいものでした。地元が田舎すぎてコーラにメントスを入れて爆発させるのが一番の娯楽でした笑。
大学2年生のときに学部で仲良くなった、えいととあさきに初めてカミングアウトをしました。今までの、自分だけで完結させればいいや、という気持ちも限界だったんだと思います。きっかけは部活動でしている元ハンセン病患者さんが暮らす療養所への訪問なのですが、この話はまた後日。
カミングアウトする前は心臓が飛び出しそうになるほどバクバクで、LINEで意味がわからないほどの長文を送りました。今思えばすごく恥ずかしいですね笑。
2人からは「もう言われてると思ってた」「私の周りにもたくさんいるから気にしない」というものでした。2人なら絶対に受け入れてくれる自信はあったものの、なんだか拍子抜けだったのを覚えています。
でも、「解放された〜」と思いました。
それから徐々に、徐々に、「この人なら大丈夫!」と思える仲の良い友達にカミングアウトしていきました。
中高生のときは、「本当の自分のことを言えてないのに親友とは言えないよな」とどこか寂しさを感じ、壁を作っていました。だから、カミングアウトしたあとはぐっ、、と仲良くなれた気がしました。親友になれたんだと。
最近では、4年間苦楽を共にしてきた部活の同期9人に、キャンプに出かけた夜、すでにカミングアウトをしていた友達の手を握りながら全員に伝えられました。みんなあったかかったなあ。
就活中は会う人会う人に、そして面接でも絶対に「僕はセクシュアルマイノリティーです」と伝えるようにしていました。社会人でも空気を読んで、適当に恋愛話をする偽りの自分になりたくなかったから。内定をいただいた会社の面接では「僕も周りにもたくさんいるよ、全然特別じゃないよね」「広瀬くんを受け入れないような会社じゃない、よろしく!」と言ってくれたのが印象的でした。来年の春からお世話になります!
僕の人生が進み始めた!と思っていたところにぶち当たったのがやはり両親へのカミングアウトという壁でした。
年末年始に実家で見たお母さんの幼稚園の先生との交換日記のこと、そして中学のときなんとなく見てしまったお母さんの携帯に書かれてある「同性同士って結婚できるん?」という文字。
その携帯に表示された文字を見たときから、お母さんと距離を取るようになってしまっていました。きつくあたることも多かったと思います。舌打ちなんてお母さんに聞こえるように毎日してました。
申し訳ないと思いながら、ゲイであることがばれてはいけないとどうしても素直になれませんでした。
多干渉はウザい。
知られたらどうしよう。
いつかは言いたい。
早く言わないと結婚しない僕を不審に思うんじゃないか。
もしかしたら勘当される可能性だってある。
一番の味方でいてくれるはずの親に勘当されるという話もよく耳にしましたしね。本当に怖かったです。
その葛藤の中でもやもやしていたとき、先日まで通っていたLife Design Schoolであっこに言われた「言いたいという気持ちを大事にして欲しい」という言葉が響きました。
なぜ僕はお母さんに、お父さんに自分がゲイだということを伝えたいんだろう。
あ、昔みたいに仲良くなりたいんだ。。。
小学生の頃は、小さくて可愛い天然なお母さんが参観日に来るのが嬉しかったんです。
帰省したときに、両親と仲良く食卓を囲んで、好きな人の話でもできたらどんなに幸せだろうか。。。
Life Design Schoolでそれに気づけたとき、すぐにお母さんに電話しました。今、思いが熱くなっているうちに伝えたい。ゲイだということ、そして、仲良い家族でいたいということ。
勝手に涙が出てきて、つまりつまりでしたが、やっと伝えることができました。
その時のことはあまり覚えてませんが笑、今まで話せていなかったことも話せた電話の後、急いで綴ったノートに、
「なおが幸せなことが生きがいと言ってくれて本当に嬉しかった。今までおれを否定せずに育ててくれたんだなあ。ほんまに感謝しかない。おれが幸せになるんじゃなくて一緒に家族で幸せになって行こう。」
と書いてあります。
カミングアウトというのは、自分のエゴで他人を困らせてしまうもの、わざわざ自分のセクシュアリティを宣言する必要があるのか、という世間の声のふりをした自分の声が聞こえてきて、ずっと葛藤してきました。
でも、心のどこかでカミングアウトが人生の起爆剤になることはわかっていた気がするんです。
僕は先日まで、Life Design Schoolという過去と対峙して、人に価値提供できるような夢を見つけよう!というコーチングスクールに通っていました。
そこで、自分自身の経験から、「全ての人が自分の人生に誇りを持てる世界を作る」という夢を少しずつ育ててきました。
正直、この夢を実現できると思えるほどの根拠のない自信も、この夢に対するわくわく感もまだ足りません。LGBTと呼ばれる人は左利きの人と同じくらいいるとされる現代、僕がこんなことを言うのはおこがましいのではないかとも思います。
でも多くの人に対するカミングアウトが一つの起爆剤になるのはもうわかってるんです。
だから、僕は、僕がゲイであることをカミングアウトすることにしました。
実はブログのタイトル、僕が大好きなとても30代には見えない、ペンギンに似てます!と伝えると喜ぶぐっちさん、平山裕三さんのブログのタイトルをお借りしました。
http://yuzo-hirayama.blogspot.com/2012/02/test.html
今思えば、このブログがきっかけになって、ずっと反抗期を引きずって素直になれなかった両親、特にお母さんと仲良くしたいと思うようになりました。
是非、ぐっちさんのブログも読んでください。僕はタリーズでぼろぼろ泣きました笑。
ぐっちさんがカミングアウトした2012年よりも世の中は変わってきていると思います。実はあまりLGBTの事情に詳しくない僕でも、TwitterやInstagramを通して、カミングアウトする人が増えてるなあと実感します。
それはぐっちさんをはじめとする思いを持った、たくさんの人たちが活動をしてきたからだと思っています。
2019年に僕がこうやってカミングアウトできたのも、家族の幸せを思えるようになったのも、かけがえないと思える親友ができたのも、誰かの思いによって、世の中が変わってきているおかげかもしれません。きっとそうです。
だから僕も何かしらの形で、世の中を変える原動力になりたい!
僕はずっと何者でもない僕がカミングアウトすることで、肩書きの最初に「ゲイ」という言葉がくることを恐れていました。
今回、僕がカミングアウトしたことによって、間違いなくあなたの中では「ゲイ」の広瀬尚哉という認識になったと思います。
それは間違いじゃないです。
「ゲイ」という言葉にマイナスなイメージを持っていたのは自分自身だったんだなと、今このブログを書いていて気がつきました。
僕は家族と友達が大好きで、一人っ子ならではのマイペースで、旅行に行きたがりで、中学の頃から在宅オタで(最近はめっぽう韓国アイドル)、2日に1本は映画を観る映画好きで、献血の大切さを知っていて、「ゲイ」の広瀬尚哉です。
今日、僕は22歳の誕生日を迎えました。
本当に、たくさんの人に支えられて生きてきたなと心から思います。
自分の時間を使って、このブログを読んでくれたあなたにも感謝を伝えたいです。
SNSなどで拡散してくれるともっと喜びます。
そして、もしカミングアウトで悩んでいる人がいたら。いや、どんな悩みでもいいです。誰かに話したいけど、話せないという悩みを抱えた人がいたら、何者でもないただの学生で、「ゲイ」である僕で良ければ話聞きます!何でもどんと来いです!
やっぱりこのブログを投稿するのは緊張します。今になって心臓がバクバクしてきました。
でも、自分で選択していく人生です。
以後、僕、広瀬尚哉は「全ての人が自分の人生に誇りを持てる世界を作る」という夢を抱いて人生を歩んでいきますので、今後ともよろしくお願いします!
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