もう2本目のキャンディーバー 〜思春期の始まりにTommy february⁶がいてくれた〜
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Tommy february⁶/Tommy heavenly⁶/the brilliant green/川瀬智子/ガーリーカルチャー/赤メガネ/伊達メガネ/ブライス/ANGEL BLUE/ナルミヤ・インターナショナル/CD+DVD/MV(ミュージック・ビデオ)/Strawberry Switchblade/ニューウェーブ/80年代/カバー曲/Remix/安室奈美恵/浜崎あゆみ/倉木麻衣/宇多田ヒカル/モーニング娘。/ひょっこりひょうたん島/BoA/VALENTI/ゴシック・ファッション/オルタナ/グランジ/メタル/ハードロック/視力検査/視力2.0/奥さまは魔女/MaGic in youR Eyes/Tommy airline/ニコラ/CUTiE/ふみコミュ/掲示板/フリー素材/モデル画像/歌詞画像
前回の記事では、小学四年生の私が反抗期と共に「ANGEL BLUE」というナルミヤブランドに出会い自我を獲得し、その熱が冷めた頃に現れた「Tommy february⁶」との奇跡的な出会いについて書きました。
タイトルに記した「もう二本目のキャンディーバー」とは、Tommy february⁶の『ふたりのシーサイド』の歌詞です。
今回は、Tommy february⁶回の二本目!ということで、彼女が私に与えた影響について、そして彼女の世界に近付くために努力した日々の思い出について書いていこうと思います。
-イントロダクション-
ANGEL BLUEとの出会いによって、私を取り巻く世界は色鮮やかに塗り替えられた。そんな私の心の中に芽生えたのは、自分を表現する「好き」という軸のようなものだった。
そして小学五年生に上がる頃、ANGEL BLUEからの卒業を機に、私の中にうずまいていた反抗期も静かに幕を閉じた。
親の反対を初めて押し退け、流行の波に乗るという大きな出来事を経験した私は、どこか落ち着かない日々を送っていた。
その混沌とした日々の中で、私はある日、日常に現れた異質な輝きに導かれるようにしてTommy february⁶の音楽と出会うことになる。
新たな音楽の楽しみ方を世に広めた、
1stシングル『EVERYDAY AT THE BUS STOP』
Tommy february⁶は、ロックバンド「the brilliant green」のボーカルである川瀬智子のソロプロジェクトとして2001年7月25日に立ち上げられた。
1stシングル『EVERYDAY AT THE BUS STOP』でデビューし、翌年2月6日に1stアルバム『Tommy february⁶』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位で2週連続1位を獲得するという人気っぷりであったが、その頃はまだ、彼女の存在を完全には認識できていなかった。
ちなみにこの1stシングル『EVERYDAY AT THE BUS STOP』はCD+DVDという形態で発売され、音楽業界では初めての試みであった。
DVDには楽曲のMVや一緒に踊れる振り付け映像などが収録され、一般家庭へのDVD普及の一端を担った人物であるとも言えるだろう。
ちなみに、このシングル盤に収録されていた『SINCE YESTERDAY』は、グラスゴー出身の80年代のニューウェーブ・デュオ「Strawberry Switchblade」のカバー曲である。
「Strawberry Switchblade」を本格的に聴くようになるのは高校生の頃とかなり先のことだったが、初めて『Deep Water』を聴いた時、Tommyの『SwEEt dREAM』が真っ先に浮かび、過去の点と点が繋がり、とても興奮したのを覚えている。
Tommy february⁶に限らず、当時のシングル盤には他のアーティストのカバー曲やRemixヴァージョンなど、シングル盤でしか聴けない楽曲が収録されていることも多かった。
当時はその良さが分からなかったが、大人になってから、『EVERYDAY AT THE BUS STOP』のCaptain Funk "Daydream" Editionが好きになった。
他の誰とも似つかない、唯一無二の歌姫
あの頃、音楽チャートを賑わせていたのは、「安室奈美恵」や「浜崎あゆみ」、「倉木麻衣」や「宇多田ヒカル」といった、華やかなステージを彩る歌姫たちだった。
彼女たちの音楽は確かに学校内でも人気だったが、どこか私の心に響くものを見つけることはできなかった。
「モーニング娘。」は小学一年生の頃からずっと聴いていたが、 NHKで『ひょっこりひょうたん島』を披露する頃には既に熱が冷めていた。
また、毎月のヒットチャートを集めたCDを作ってくれていた父親の同僚の影響で、「BoA」にハマっていた時期もあった。
カラオケで歌うくらい大好きだったが、10thシングルである「Shine We Are!」を最後にいつしか聴かなくなっていた。そしてそれらは、ANGEL BLUEの服を卒業したのとほぼ同じ時期だった。
そんな心の空白地に、彗星のごとく現れたのがTommy february⁶だった。
彼女の声、メロディ、そして醸し出す雰囲気は、前述した他の誰とも似つかない、唯一無二の存在としての輝きを放っていた。
前回の記事にも書いたように、Tommy february⁶とのファーストミートはテレビの音楽番組だった。
そこで聴いた曲が何だったかをはっきりと思い出せないのだが、生歌ではなくMVだったことは確かだった。時期的に考えて、2003年2月6日にリリースされた4thシングル『je t'aime ★ je t'aime』か、同年7月16日にリリースされた5thシングル『Love is forever』のいずれかだったと思う。
ただ、画面に対して赤の印象が強かった記憶があるので、そう考えると『Love is forever』が正解な気がしている。
自前の衣装、コラボレーション、二つの人格…
セルフプロデュースの天才・川瀬智子
Tommy february⁶のキャラクターイメージには一貫した独自性があった。
金髪ロングの斜め前髪に赤いメガネ、ファッションはミニスカートにハイソックスといったユニフォームスタイルがベースにあった。
MVやCDなどの販促物のアートディレクションにおいても徹底的なセルフブランディングがなされており、それら全てが作り出す世界観に、私は深く惹きつけられていた。
また、2003年にはTommy february⁶のダークサイドキャラクターとして「Tommy heavenly⁶」としての活動も開始させる。
こちらのキャラクターイメージはゴシック・ファッションに身を包んだ、ブライトサイド側のTommy february⁶とは対極的なものになっており、曲調もオルタナやグランジ、メタルやハードロック寄りとなっている。
Tommy february⁶/Tommy heavenly⁶という存在は私にとって、単なる音楽アーティストではなく、ひとつの「世界」だったのである。
小学五年生の私はそんなTommy february⁶というブランドないしパッケージに夢中になり、手っ取り早い手段として、赤いメガネを掛ける作戦に出た。
虚像と現実の狭間で
〜赤いメガネに導かれた視力2.0女の陰謀〜
なぜ当時、「伊達メガネ」を掛けるという選択肢に気付けなかったのだろうか(実際に彼女が掛けていたのも度なしの伊達メガネだった)。
毎年視力2.0の記録を叩き出していた私は、わざと結果が悪くなるよう、その年の視力検査に取り組んだ。検査結果を受け、その後何度か遠方の大型病院に通院することになった。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
そこでは視力に見合ったメガネを作るために色々なレンズを試着しながら検査を受けるのだが、実際は目が悪くないため、全ての結果が整合性を欠いていた。
度の入ったレンズを試着すると見えないという、明らかにおかしな記録を毎回叩き出しまくってしまっていたのだ。
これがオリンピックだったらドーピング違反か何かで退場させられていたことだろう。
合計半年間ほど通っただろうか。
全ての辻褄が合わなくなり、対処に困った先生からは「思春期のストレスなどによる一時的な心因的視覚障害」と告げられ、私の姑息なメガネデビュー大作戦は見事に玉砕した。
両親はその結果に困惑し、私は己の愚かさを悟った。
これ以上両親に迷惑はかけられまいと、翌年の視力検査では再び2.0を叩き出すことに注力した。視力低下を避けるべく、テレビゲームのプレイ時間も自分なりに制限した。
そして半年後、視力2.0という金メダルを一年ぶりに持ち帰り、私はなんとか両親を安心させることができた。
この出来事は私にとって、いろんな意味で忘れられない思い出だ。
両親を心配させたこと、無駄なお金と時間を費やさせてしまったこと、それらの後悔は私の心に深く刻み込まれた。
しかし、同時にTommy february⁶という存在が、私の中にどんなに大きな影響を与えていたのかを、改めて気づかせてくれる出来事でもあった。
幸運なことに(?)、今日に至るまでメガネを掛けたことは一度もない。その時にしか見たことがない映像なのに、今でも時々夢の中で、カラフルな気球のイメージを見ることがある。
ちなみに、この出来事の真相は未だ両親に話せていない。
旅に出るワクワクとドキドキを教えてくれた
2ndアルバム『Tommy airline』
小学五年生の終わり頃、おそらくこの頃が人生で最も、Tommy february⁶に夢中だった時代だと思う。
2004年2月11日、6thシングル『MaGic in youR Eyes』が発売され、3月17日には2ndアルバム『Tommy airline』が発売された。テレビでは『奥さまは魔女』というドラマが放送中で、『MaGic in youR Eyes』が主題歌だった。
私は両親に買ってもらったポータブルMP3プレーヤーを片時も手放さず、Tommy february⁶の世界に浸っていた。
友達の家へ向かう道中、英語教室が始まるまでの待ち時間など、日常の至る所に彼女の存在があったと思う。
『Tommy airline』を聴く時はいつもドキドキとワクワクが入り混じり、まるで海外旅行の気分だった。
イヤホンから流れ出す音楽はそんな日常の風景を彩り、私を別の世界へと連れて行ってくれていた。
中でも一番好きだった「ふたりのシーサイド」の歌詞を借りるならば、まさに「あの頃あなたこそが たったひとつの夢だった」のである。
雑誌とネットは秘密の扉?
憧れの女の子になるための猛レッスン
憧れのTommy february⁶の世界に少しでも近づきたい一心で、私は雑誌やインターネットの世界に没頭した。
それは、現実逃避というよりは、自分だけの秘密基地を築き上げる作業だった。遊びというより勉強に近く、毎日が憧れの女の子・Tommy february⁶に近付くためのレッスンだった。
「ニコラ」や「CUTiE」は、そのための参考書のようなものだった。
そこに載っているコーディネートやインテリアは、単なるファッションではなく、私だけの世界観を構築するための設計図だった。
「ニコラ」や「CUTiE」のページをめくる度に、私の部屋は少しずつ変化していった。
自分だけの可愛い世界を作りたいという願望が、日に日に私の中で大きく膨らんでいった。
また、インターネット上のオンライン交流サイト「ふみコミュ」も、その世界を志す仲間たちとの秘密の集会所だった。
ふみコミュには中学二年生頃まで入り浸っていたが、現実世界とは異なる、私だけの特別なコミュニティだった。
周りにTommy february⁶好きの友達がいなかった私にとって、「ふみコミュ」は重要な情報源だった。
そこではTommy february⁶が好きな女の子たちと情報交換をしたり、モデルや歌詞をコラージュした可愛いフリー素材を眺めるなど、とにかくインプットの連続だった。
過去と未来を繋ぐピース
〜Tommy february⁶が照らした自分探しの道〜
改めて、私にとってTommy february⁶との出会いは、単なる音楽との出会いではなく、自己表現やアイデンティティを模索する旅の始まりだったと言える。
彼女の音楽やファッション、そして彼女が作り出す世界観は、思春期が始まったばかりの私の心を捉え、何かを懸命に探している自分に対して、一つの道しるべを示してくれたような気がする。
あの頃の私は、Tommy february⁶という光に向かって、必死に手を伸ばしていた。
彼女の音楽を聴きながら、私は自分自身と向き合い、自分だけの色を探そうとしていた。それは、誰しもが経験するであろう、思春期の普遍的な悩みだったのかもしれない。
彼女の世界観に共感し、自分自身と重ね合わせることで、私は少しずつ大人へと成長していった。大人になった今、その時感じた高揚感は未だに心の奥底に温かく灯っている。
Tommy february⁶の音楽は、今も変わらず私の心に響く。あの頃の経験が、彼女の存在こそが、今の私を形作ったのだという強い確信。
それは、まるで古い写真を見返すような、どこか懐かしく、そして温かい感覚だ。
あの頃の自分と今の自分、そして未来の自分はきっと繋がっている。
Tommy february⁶との出会いは、私の人生に大きな影響を与え、今の私を形作る上で欠かすことのできない一つのピースとなった。
彼女の存在は私の思春期時代の「原風景」として、これからも私の人生を彩り続けてくれると信じている。
計二回に渡り、Tommy february⁶の思い出について書きました。Tommy heavenly⁶については、また別の機会に書こうと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!