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【Ep.3】 ゆらめく未来へ泳いでる「こわくなんかないよ」 〜JUDY AND MARYがくれた等身大のメッセージ〜

🔑Keywords🔑

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-イントロダクション-

2004年4月。小学六年生になったばかりの頃だった。

私は、いつも通りの下校途中、近所の本屋へと立ち寄った。

Tommy february⁶に夢中になって以来、彼女が載っている雑誌を片っ端からチェックするのが毎月の日課になっていたのだ。

「mina」や「junie」、「SEDA」など、ありとあらゆる媒体に目を通したが、中でも興味を惹かれたのは「CUTiE」や「Zipper」という、いわゆる青文字系の雑誌だった。

今まで自分が感じていた「可愛い」のベースは同じようであったが、それとはまた少し違った「可愛い」が散りばめられていた。

憧れのTommy february⁶に導かれるようにして、私の愛読誌はジュニア雑誌である「ピチレモン」や「nicola(ニコラ)」から、青文字系雑誌の「CUTiE」や「Zipper」へと移り変わる時期に差し掛かろうとしていたーー。

2004年3月号の「nicola」と「ZIpper」

ジュニア雑誌から青文字系雑誌へ
〜個性的な女の子への憧れと葛藤〜

「ピチレモン」や「nicola(ニコラ)」を小中学校の放課後の教室に例えるのならば、「CUTiE」や「Zipper」はファッション専門学校のファッションショー、といったところだろうか。

そこには、カラフルで奇抜な服や個性的なヘアスタイル、そして、当時の自分には少し大人びた言葉たちが並んでいた。

言うまでもなく、前者のジュニア雑誌で特集されるような、恋愛テクニックや友達との悩み相談、モテるヘアアレンジなどといった、学校生活を楽しくするための王道テクニックは書かれていなかった。

それらの雑誌を部屋で広げながら、私は自分自身と対話していた。

「どちらの世界が本当なのか」「どちらの世界を選ぶべきなのか」ーー。

Tommy february⁶に近付くためには、少し背伸びをする必要があるということは分かっていた。

しかし、新学期を迎え、小学六年生になったばかりの私にとって、放課後の教室の存在を完全に手放してしまうことはかなりリスキーなことだった。

Tommy february⁶のような唯一無二の存在に憧れつつも、

「周りのみんなと同じ場所に立っていたい」
「浮いた存在にはなりたくない」

そんな葛藤が起きていたのだ。

それはまるで、二つの駅の間を走る電車に揺られているようなものだった。

途中駅である片方の駅は、安心できる子供の頃。終点のもう片方の駅は、大人へと足を踏み出そうとする出発点。

不安定で奇妙な感覚を抱きながら、私はその電車の中で、どちらの駅で降りるべきか悩み続けていた。

悩んだ挙句、結局私は「ピチレモン」「nicola(ニコラ)」「CUTiE」「Zipper」という四つの雑誌を並行して読むことを決意し、異なる世界を同時に抱えて過ごすことになった。

義務教育学校に通いながら、専門学校で新しい知識を吸収する、二足の草鞋スタイルである。

結局、どちらの駅で降りるべきか決めることはできなかったが、悩みながらも楽しいという感覚は確かにそこに存在していた。

その問いを通して自分自身に向き合うこと自体が、当時の私にとっての一種の通過儀礼のような、大切な経験だったような気がする。


母が教えてくれた「JUDY AND MARY」
というパンクロックバンド

「CUTiE」や「Zipper」の世界に足を踏み入れた私に対して、母はあまり肯定的ではなかった。

今思えば、若い頃 ”Olive少女” だった母が、なぜその当時反対してきたのだろうかと不思議で仕方ない。

ただ、Tommy february⁶に関しては、母も「可愛い子だよね」と同意してくれた。

そしてその頃、母は私に「JUDY AND MARY」というパンクロックバンドを教えてくれた。
通称:「ジュディマリ」である。

母が「Chara」を教えてくれたのも、ちょうどこの頃だったと思う。
(Charaの話はまた別の機会に書きたい)

JUDY AND MARYは、2001年3月7日・8日の東京ドームでのライブを最後に、すでに解散済みのバンドだった。

それは、2001年7月25日に川瀬智子がソロプロジェクトTommy february6を立ち上げ、シングル『EVERYDAY AT THE BUS STOP』でデビューする直前の出来事だった。

振り返れば、リアルタイムではない、すでに解散あるいは引退している音楽を追いかけるという体験は、JUDY AND MARYが初めてだったかもしれない。

その数日後、父が『The Great Escape -COMPLETE BEST-』という2枚組のベストアルバムをコピーして渡してくれた。

『The Great Escape -COMPLETE BEST-』のジャケット

そして偶然か運命か、そのアルバムのジャケットのイラストは、当時好きだったブランド「SUPER LOVERS(LOVERS HOUSE)」のデザイナー・田中康晴によるものだった。

LOVERS HOUSEのマスコットキャラクター「KEN & MERRY」

また、JUDY AND MARY時代のYUKIは「CUTiE」や「Zipper」の表紙を飾っていたことも多かった。

初期の私服は「SUPER LOVERS」や「Vivienne Westwood」、「BETTY’S BLUE」といった、当時の私にも馴染みのあるブランドを身に纏っていた。

そうした些細な要素も、JUDY AND MARYに興味を抱く、大きな後押しになっていたのかもしれない。

CUTiE(1997年3月号)の表紙を飾るYUKIと、Zipper(1997年)のストリートスナップのYUKI

LOVERS HOUSEからSUPER LOVERSへ
〜少し背伸びして見つけた景色〜

ここで少し、当時夢中になっていた「SUPER LOVERS」というブランドについて触れておきたい。

「SUPER LOVERS」は、創業デザイナーである田中康晴が80年代のUKストリートカルチャーの影響を受け、1988年にスタートさせたブランドである。

2000年代にかけて原宿ストリートファッションシーンを牽引し、「CUTiE」や「Zipper」のストリートスナップでも常連の人気ブランドだった。

一方の「LOVERS HOUSE」は、90年代後半に「SUPER LOVERS」から立ち上げられたジュニアブランドである。

ポップでキャッチーなパンダのマスコットキャラクター「KEN & MERRY」を配した同ブランドは、ナルミヤブランド同様ジュニア世代から人気を博しており、当時読んでいた「ピチレモン」や「nicola(ニコラ)」でも大きく取り上げられていた。

LOVERS HOUSEはジュニア雑誌の付録になることも多かった

「KEN & MERRY」を筆頭に、この頃やたらとパンダのキャラクターが目につくことが多かった。

「宇宙百貨」や「大中」には多くのパンダグッズが溢れていた気がする。

実家に眠っていた宇宙百貨のパンダ柄のノート

ちなみにYUKIにも ”パンダブーム” なるものがあったようだ。

自分でもなぜ、当時パンダのキャラクターに惹かれていたのかわからない。

「Zipper」の誌面でパンダのぬいぐるみに囲まれるYUKI

「SUPER LOVERS」に話を戻そう。

仙台に店舗があったか覚えていないが、祖父母の家の近所にある「さくら野百貨店」には「SUPER LOVERS」の店舗があった。

こちらも記憶が定かではないが、同じくカジュアルブランドとして人気を集めていた「BETTY’S BLUE」の洋服も同じフロアに置いてあった。

「SUPER LOVERS」の店舗というよりは、セレクトショップのような形態の店舗だったのかもしれない。

「SUPER LOVERS」や「BETTY’S BLUE」の服を眺めながら、私はJUDY AND MARYのYUKIのことを考えた。

少し背伸びしてみたかった、というのもあるだろう。

「ピチレモン」と「nicola(ニコラ)」だけを読んでいた頃は「LOVERS HOUSE」の存在が強くあったが、青文字系雑誌を読み始め、JUDY AND MARYという存在に出会うと、完全に「SUPER LOVERS」派に傾いていたのだ。

母が若い頃に履いていた、文化屋雑貨店のタータンチェックのスカート。

そこに、「SUPER LOVERS」のハートロゴが大きくプリントされたTシャツを合わせる。

鏡に映る自分を見て、私は少し大人になったような気分だった。

新しいものに対して、古いものを合わせても良いのだということ。
ファッションはもっと自由で良いのだということ。

鏡の中の私は、もう「ピチレモン」や「nicola(ニコラ)」のページから飛び出した女の子ではなく、自分だけのスタイルを確立しようとしている、そんな気がした。

数年前「ぼくのおじさん」でインタビューを受けた際の写真。
両親から譲り受けた文化屋雑貨店のチェックスカートたち

Tommy february⁶経由JUDY AND MARY
〜YUKIが紡ぐ詩的で美しい言葉たち〜

私は父から貰った『The Great Escape -COMPLETE BEST-』を何度も何度も聴いた。

正直、Tommy february⁶を聴いていた頃を何重も上回る、相当な熱量だった。

このアルバムに収録された曲に関しては、未だに曲順、歌詞、全てを暗記できている。

JUDY AND MARYの音楽は、Tommy february⁶の持つ甘酸っぱさや可憐さとは対照的に、力強いエネルギーに満ち溢れ、そして自由奔放だった。

幼少期の頃、車内でよくPUFFYや忌野清志郎、UKロックがかかっていたこともあり、キラキラとしたギターのリフとボーカル・YUKIのハイトーンボイスは、すぐに自分の耳に馴染んでいった。

それはまるで夏の日の夕焼け空の下、どこまでも続く一本道を自転車で走っているような、エモーショナルな切なさと懐かしさがあった。

そして、JUDY AND MARYの魅力を語る上で外してはならないのが、YUKIの紡ぐ、詩的で美しい言葉たちである。

好きな歌詞というのは、大体サビや二番の歌詞に出てくることが多いのだが(※自分調べ)、JUDY AND MARYの曲の歌詞はどこを切り取っても美しく、どれか一つのフレーズを選ぶということができなかった。

ジュディマリの好きな歌詞を書き込んだ学校のプリントファイル

このプリントファイルにもあるように、『BLUE TEARS』に関しては冒頭から見事にハートを撃ち抜かれてしまった。

忘れかけてた 遠い記憶 風が かき乱すように
流れ去る 透明の あなたの夢を 見ていた

『BLUE TEARS』

Tommy february⁶の歌詞が、実験的な言葉遊びが多く、一定のテンションを保った比較的コンセプチュアルなものであるのに対し、JUDY AND MARYの歌詞は、説明的(物語的)で詩的で、エモーショナルなエネルギーに満ち溢れていた。

明るさとパワフルさの中に切なさや悲しみが混じり合い、メロディの合間にふと郷愁のようなものを感じさせる、情緒に訴えかけてくる言葉たち。

それは、ただ音楽を聴いているというよりも、彼女の人生そのものを垣間見ているような、不思議な感覚だった。

歌詞の一節一節が、まるで私に向けられたメッセージのように心に響いた。

彼女の音楽は、単なる娯楽を超えて、いつしか私にとっての心の拠り所になっていた。


少し余談になるが、この記事を書いている最中、ポイフルのイメージキャラクターをJUDY AND MARYが務めていたことを知り、とても驚いた。

Tommy february⁶、ポイフル、JUDY AND MARY…
やはり、すべての「好き」は繋がっていたのだと実感する出来事だった。

当時のCMソングは『自転車』だった

YUKIが教えてくれた「ありのまま」の美しさ

音楽性はもちろん、独自のファッションに身を包み、ステージ上で無邪気に体を揺らすYUKIの姿は、まるで古着屋で見つけた一点物のヴィンテージブックのようなワクワク感があった。

ページをめくるたびに新しい発見があり、何度読んでも飽きが来ない。

彼女のファッションは、パンクやロリータという既成概念の枠を超え、自由奔放な魂を映し出していた。

当時の言葉で言うところの「古着mixスタイル」な彼女のファッションは、まるでパッチワークのワンピースのように、それぞれの布が持つ個性的な模様が一つに組み合わさることで、唯一無二の美しい作品を作り出していた

それは、型にはめられた絵画ではなく、生きて呼吸するような、躍動感あふれる芸術作品のようだった。

川瀬智子がTommy february⁶/Tommy heavenly⁶という計算され尽くした二つのキャラクターを、「別人格のもう一人の自分」として演じていた(もちろん褒め言葉である)のに対して、YUKIはただただ自然に身を任せ、ありのままの自分を自由に表現していた。

そんな等身大のYUKIの姿は、Tommy february⁶とはまた違った意味で魅力的な存在だった。

タイトルに記した『ラッキープール』の歌詞、
”ゆらめく未来へ泳いでる「こわくなんかないよ」”

それは、ゆらめく未来へ泳いでる自分への、YUKIからの力強いメッセージのようにも受け取れた。

ありのままの自分でいることは、「こわくなんかないよ」と、優しく背中を押してくれるようだった。


変幻自在の才能?あたしカメレオンルミィ!

母からJUDY AND MARYを教えてもらった頃、YUKIは既にソロ歌手としての活動をスタートさせていた。

「JUDY AND MARYのボーカルの子だよ」

ある日、テレビに映る彼女を指差しそう告げる母に、私は驚きと混乱を隠せなかった。

「本当にカメレオンルミィだったんだ…」

なぜなら、テレビに映る彼女は、私がJUDY AND MARYの中で見ていたYUKIとはまるで別人のようだったからであるーー。

7thシングル『Home Sweet Home』のジャケット(2004年8月18日発売)


次回へ続く


JUDY AND MARYとYUKIの話はまだまだ続きます。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!


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