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私を私が観てあげる、とは?

うわああー、、、
なんだか長年の何かが壊れゆく感覚。

長年私が家族や彼氏に対して持っていたパターン。
(特に距離の近い人たちに起きやすい)
・私のやな感じをあなたがどうにかして良い感じにしてちょうだい。
・あなたがやな感じでも私のためにどうにかしていい感じでいてちょうだい。

まじおかしいやつ、何様?!って感じだけど、
このパターンの持ち主もまあ生きづらかったわけですよ、、、(笑)

ずっとずっとあの願いを、
親または彼氏に記憶のあるうち30年間叫んでいたのです。
声も枯れただろうにほんまにお疲れ様って感じ。

みて!→構って→もっともっと構って→私のやな感じをどうにかしてよ!叫びまくってたちっちゃな私🥹

結局、答えは、
一番近いのお前だがよ、
お前が観てくれよ!!!!!
(お前とは私のこと)

あ、、、、
一番近い距離で、
私がどんな様子で、どんな気持ちで、いま何を欲しがってるのか、何をやって欲しいのか、
いっっちばん分かってるのは、
というか、認識しているのは、
私しかいないのだ。

距離が近いどころか、むしろ、ない。
無距離。だから、無自覚だった。

24時間365日、くっ付いてるのは自分しかない。
当たり前すぎて、ずっとスルーしてきた。

私が私を観てあげる。
私を私が観てあげる。

みて!→みてみると→どんな様子をしているかみえる→その様子が求めていることがある→それをやってあげる

これに限るんだわ。

でも、ずっとずっとみることを知らずに、
みて!→みてあげない→さらに暴れん坊になる→みてあげない→おかしな様子になったり、人に行きすぎたり、拗らせたり、違うところに派生してゆく
35年間生きてきたwww

めちゃめちゃシンプルなことなのに😭

小さい頃、お家以外のお外で母から観られてる時、たとえば授業参観とか。
父がカメラを向けてパシャパシャ撮ってくれている時。
めちゃ嬉しかったなあー
そして訳のわからん涙が溢れたり、でも、その涙はなんだか暖かくて愛の結晶のように感じた。
その感覚がとてもはっきりと覚えている。
寂しくてとか、辛くて、とかじゃなくて、
なんだか、うるっときちゃった涙だったんだよなー
見てもらっている感覚が単なる嬉しかったのかもしれない。

ずっとずっと観て欲しかったんよなーー🥹
私だけを私がずっとずっと観てあげる!!!
強く強く約束をして、誓う、今日の夜でございます。


今の、わたしを、観て!!!!❤️

そもそも、観ないと、どんな様子をしているのか、その様子をしている私は何が欲しいのか、わからないから、
観てあげないと、なーんにも始まらないのだ。

当たり前すぎておかしいわ(笑)🤪

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