見出し画像

完璧じゃなくていい、出来ることからやってみる。

前回に引き続き、今回はアメリカ編。

少ない夏休みを利用した7日間の研修費だけで、30万くらいかかる研修。どこにそんなお金があるの?と言っていた母の予想は見事に的中。
当時貧乏学生代表だった僕に、そんな貯金があるはずも無く…でも、出来るだけ貯めて絶対行ったる!そう思ってバイトに励みました。 

【申し込みの締切日が差し迫ったある日】

母「あんたが去年アメリカ行くって言ってたから、その分のお金貯めてたわ。行っといで!」 

本間に助かりました。。。聖母マリア釈迦かと思いました。
この恩恵無くしてアメリカ行きは実現出来なかったので、本当に有難かったです。            

早く親孝行せなアカンと心から思っています。
※チケット代は頑張って自己負担しました。           

海外へ行く際には、色んな形があると思うのですが個人的には単独で行くことをオススメします!!!

【なぜ単独が良いか?】

様々なハプニングが全て自分の経験になり、右も左も分からん状況で、試行錯誤していくことが1番の成長に繋がるからです。

困った状況でも、一生懸命やっていれば助けて下さる方が自然と現れ、その暖かさに触れ、生かされている事に気付き自己成長に繋がります。

最初は本当に苦労だらけになりますが、それで良いんですよね〜

【San Diego 空港】

2014年8月末 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ へ向け出発。
到着すると早速試練が待ち受けます。

世界トップクラスの警備システムを誇るアメリカのイミグレーション。
噂以上に、想像以上の質問の量にタジタジ。
全く答える事が出来ず、、、

「もうアメリカ入られへんのちゃうか?」
本気でそう思いました。

そんな僕を見かねて…
「分かりました、日本語でやりましょう!」

と、耳を疑いましたが、担当者の方が日系アメリカ人。日本語で対応してくれて、晴れて入国出来ました。そんなことありますか?w

【アフリカはここに始まる】

研修の間の7日間、ナイジェリア系アメリカ人のご家族のお宅にお邪魔していました。
この頃からアフリカとは縁があったみたいですね! 

お母様の英語が全く分からず、娘さんに英語を英語で通訳してもらっていたのが懐かしいです。
右も左も分からない僕を家族のように迎えてくれて、親族の結婚式のアフターパーティーに招待してくれたことを今も鮮明に覚えています。           

アフリカ人は本当にダンスが大好きで、ここで踊れなかったら「日本人は面白くない!」と思われるのが嫌で、必死にダンスをすることに。
そこから一気に人気者になり写真取ろうぜ~の大嵐。大阪芸人魂ってやつですかね〜w

勇気を出して、一歩踏み出すとミラクルも起こせるもんですね!

※帰国時に、ホストファミリー宅の家の鍵を日本に持って帰って来てしまったのはココだけの話 w
ちゃんと郵送しましたよ。

【恐怖の語学学校】

筆記試験とリスニング試験のクラス分けのテストがあります。選択問題が主で、使い古したテキストには沢山の丸の跡が有り、分からないところはその丸に頼って答えました w

するとどうでしょう…?

自分の実力よりも上のクラスに入ることに…
(こう言う事になるので実力で挑みましょう…w)

英語で英文法をどんどんどんどんテンポ良くやる。
答えられないので、先生に当てられるのが本当に恐怖でした。今ならあの頃よりも、ちゃんと授業が受けられると思います。これぞ成長ですね!

当時外国人は皆、英語を話せるものだと思っていたので「なんでこんなに外国人が英語習いにきてるんやろ?」と疑問に思っていましたが、母国語が英語じゃない国っていっぱいありますよね…w 馬鹿げた疑問でした。

【メサ短期大学研修】

憧れの本場アメリカのスポーツ現場。毎日コミュニケーションを必死で取り、少しでも輪に溶け込みたい一心でした。

英語が思うように通じない分、1人1人を注意深く観察し、水を渡す際にも細かい選手の注文を把握するようにしました。

例えば、給水時に常に満タンに入ったボトルを取る選手、ぬるめの水を取る選手、キンキンに冷えた水を取る選手など、各選手のニーズを読みニーズに応える事にしてみました。

そうすると、僕に仕事を頼んでくれる選手が増え、コーチも話しかけてくれたり、みんなが仲良くしてくれたのです。

相手のニーズを読み、応える事
これは、信頼を得る為に必要な事だと改めて認識しました。

トレーナーの先生方は、本当に丁寧に接してくれましたが、当時本当に英語力が乏しく、深く理解できていなかったです。悔しかったです…

オーストラリアで得た小さな成功体験を元に挑んだアメリカ。正直全く上手く行かなかった。。

でも、英語が上手く出来ない中で、どうすれば仲間と打ち解けることが出来るのか?

言葉がダメなら、せめて相手の記憶に残るよう全身で向き合っていこうと、必死に毎日食らいついていった事は、今でも大きな財産です。

【アメリカ挑戦での学び】

全てが経験/財産。
→失敗も成功も無く、全てが自分の経験/財産になること。
ニーズを見出す努力、応える努力。
→言葉が通じなくともニーズを読む努力をし、そのニーズに応える事。それが信頼を生むということ。
出来る事を必死でやる。
→必死にやってれば、その熱量が周囲に伝わり、自ずと頼ってくれたり助けてくれるようになる。人の想いが人を動かして行くこと。
感謝と悔しさを忘れない。
→あの頃お世話になった方々への感謝や、当時の悔しさを忘れずに努力し続けることが未来を切り拓く原動力になる。

あれから6年経ちますが、SNSを通してあの頃の先生や学生たちと未だに繋がりがあり、たった7日間しかいなかった僕に連絡を下さる方もいて、本当に嬉しい限りです。

当時の僕と比べて成長した姿を見せられるようにと、当時の悔しさをバネに今も目標に向けて戦っています。

あの頃、上手くいっていたらきっと今の自分は無いと思っています。

だからこそ、完璧じゃなくて良い、出来る事をやる。これだと思っています。

いつかまた、アメリカに行き成長した姿を皆様に見せられるようこれからも走り続けます。

ほなまた!See you soon...


いいなと思ったら応援しよう!