19歳、ホームレス記録。【その2】
※なんのプロットもなく、無計画に記したので、やはりこれは、僕のオナニーです。
12月15日。
最も仲の良い友人の1人から早朝(深夜)2:00頃に電話がかかってきた。
その電話で、最終的に僕は泣いた。
号泣。深夜のマクドナルドで数十センチとなりに人がいるのに、号泣。拭いても拭いてもその倍の速さで涙が出る。動脈から出血してるような気分だった。
それまで自己暗示をかけるように大丈夫、楽しい、有難いと繰り返していたのに、彼は僕の口から辛いという言葉を引っ張り出した。その途端、今まで塞き止めていたダムが決壊したのだろう。
彼は何も言わなかった。僕も彼に何も言わなかった。
結局その日は一日中気持ちが落ち着かなかった。いや、正直今も落ち着いているとは言えない。今まで辛いことや苦しいことのいい面だけを見て感謝して、歓喜していたが、それができなくなった。
いまの、12月18日現在の僕には、まだそれがいい事なのか分からない。
でも、悪い事だとは思わない。これもきっといい面とわるい面ががある。
これから僕はどう生きていくんだろう。
また世の中のいい面だけを見れるようになるのだろうか。
全てをポジティブに捉えるのは、生きていて楽だった。考えなくていいから。
僕の自己暗示は完璧だった。無理して笑っている感覚も、見て見ぬふりをしている感覚も全くなかった。本当に心の底から全てを楽しんでいた。
彼のしたことは、いいことなんだろうか。
やはり、今の僕には、まだわからない。
それから僕はまだ治らない涙腺を気遣いながら、涙が出ないように慎重に、1ヵ月ぶりに八王子の演劇祭の稽古に向かった。
その日の稽古では、僕はやっぱりポジティブをで居た。
何度も涙がちょちょ切れそうになる。
今までと違って、ぼんやりと、嘘をついているような罪の意識が相席していた。
12月16日。
途切れ途切れではあるが5時間ほど寝た。
夜には、またしても、優しい大人がご飯を奢ってくれた。
このときは、確実に、心の底から感謝していた。
僕は、なんで僕ばっかり、とかいう、そういう人に当たるような、そんな感情はひとつもなかった。自分がこの状況にあることは正面から受け入れて、その上で、ただどうしようもなく、切なくなる。
冷静な時に自分が腑に落ちる答えを出したはずだった問。いわゆる十代的な、十代らしい問をもう一度自分に投げかけ、そして、また同じ答えを導き、落ち着く。
そんな、意味もなく一度不安になる行為を繰り返す。
泥水をろ過して、その水をまた泥と混ぜる、そして、またろ過する。
そんなちっぽけな辛さだけが、ひっそりとあっただけだった。
12月17日。
前日にしっかり睡眠をとり、たっぷり栄養を撮った僕は、頭が冴えていた。
ホームレスを、始めたその日から、やらないと、やらないと、といいつつやらなかった記録を、ギンギラに冴えた頭で取りかかった。
満足するまで記し終えた僕は、こんなに面白い日々なのに、もう何日も前のことは覚えてなかった。という事実に、それだけ毎日記憶に残る動揺があふれてるという捉え方をした。
なんだかその捉え方は、べっとりべとべと、張り付いた気がした。
それは朝の出来事で、その日は1人の寂しさを出し抜くために、よく知る大人たちの稽古場に、見学というていでお邪魔した。
大人たちは、やはり、相も変わらず、優しい。
今日までに一体どれだけの人が僕に優しくしてくれただろうか。
僕がこういう生活をしているのは僕の問題で、優しくされるたびに、なんて愛されているんだと本当に幸せになった。
じゃあお前は知り合いがそういう生活をしていると知ったらなにもしないのかと聞かれれば、それはまあたしかに、と納得せざるおえないが、そういう小学校の道徳の授業みたいなことを言っているんじゃない。
今、確実に、事実として、僕のためだけに、本当にほかに一つの理由もなく、僕のためだけを思って、実際に行動してくれた人が、何人もいる。
中には友人の家族や、今日初めて出会った人もいた。
僕が今まで力になったことも、これから力になることもないであろう人も、助けてくれた。
本当に、本当に僕一人のためだけに、動いている。
そんなの、泣いてしまうよ。
これだけの愛を、想像ではなく、実感したら、泣いてしまうよ。
落ち着いたら、全員に確実に、手紙でもいいから、自分の言葉でお礼をしよう。自分の言葉で無事を伝えよう。
そんな一日でした。