(長編小説)止まった時計を動かして ~変わりたい僕の365日~【第13章:逆境を乗り越えて】
春の陽光が、街路樹の間からこぼれ落ちる。祐介の住むマンションの近くの小学校からは、卒業式の合唱が風に乗って聞こえてきた。「旅立ちの日に」のメロディーが、彼の胸の奥に淡い郷愁を呼び起こす。あの頃の自分も、夢と希望を胸に前を向いていたのだ。
そんな思いを胸に、祐介は朝の満員電車に揺られながら、昨日の夜に考えた新しい企画案を再確認していた。
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オフィスに到着すると、藤井がすでに自席でパソコンを見つめていた。
「早いな、藤井。」祐介が声をかけると、藤井は軽く目元を抑えて振り向いた。
「早いというか、眠れなくてさ。商店街の件、俺もいろいろ考えたんだ。」
そう言って、藤井は手元の資料を祐介に差し出した。そこには、商店街の店舗ごとに細かく予算配分を見直した結果が記されていた。
「これなら、なんとか現実的な範囲に収まるだろう。ちょっと窮屈にはなるけどな。」
祐介はその資料を見ながら頷いた。「ありがとう。これを基に、全体の計画を練り直そう。」
その後、知佳や伊藤も合流し、会議が始まった。
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「つまり、この案で行けば、各店舗の負担は最小限に抑えつつ、イベントの規模を保てるわけだね。」知佳が資料に目を通しながら確認する。
「その代わり、広告費用は自社で一部負担することになる。それでも、このイベントが成功すれば、長期的に利益が見込めるはずだ。」祐介が補足した。
伊藤は小さな声で質問を投げかける。「でも、負担が増えるとなると、うちの会社の上層部から何か言われたりしませんか?」
「その可能性はあるけど、ここで成功させれば、逆に評価が上がる。」祐介の言葉には力が込められていた。
藤井もそれに続く。「挑戦しなければ、何も変わらない。俺たちはそのために動いてるんだろ?」
その言葉に、知佳も伊藤も力強く頷いた。
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会議が終わり、それぞれの作業に取り掛かる中、祐介は久々に一つの感覚を覚えていた。それは、学生時代の空手の大会で全力を尽くした後の、何かを乗り越えたような感覚だ。
「今の俺なら、きっとやれる。」
そう自分に言い聞かせ、祐介は新しいプランの詳細をさらに練り上げていった。
午後も過ぎ、日が傾き始めた頃、祐介は自分の席で資料を見直していた。気づけば、肩は重く、目の奥がじんじんする。それでも、手は止まらなかった。
「祐介さん、少し休憩したらどうですか?」
知佳の声に顔を上げると、彼女がコーヒーを差し出してきた。
「ありがとう。でも、もう少しでこの案がまとまりそうなんだ。」
「真面目すぎるんですよ、祐介さんは。」知佳は微笑みながらコーヒーをテーブルに置く。
「真面目にやらないと、誰も信じてくれないだろう。」祐介が軽く肩をすくめて答えると、知佳はその場に座り込んだ。
「そうかもしれませんね。でも、立林さんが頑張ってる姿を見ると、私も頑張らなきゃって思います。」
その言葉に、祐介は少しだけ照れたような笑みを浮かべた。「お互い、無理はするなよ。」
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夜になり、退勤後の祐介は例の土手道を歩いていた。川向かいのマンションの明かりが、ぼんやりと足元の道を照らしている。
「ふう……。」
誰もいないその道では、彼の声は自然と独り言になる。
「本当にこのままでいいのか……。」
ふと立ち止まり、夜空を見上げる。仕事は順調に進んでいるように見えるが、どこかで不安が胸をよぎるのを止められなかった。
「成功するかな……。」
手にしていたカバンを肩にかけ直し、歩き出そうとしたその時、不意にポケットの中のメダルに触れた。
学生時代、あの大会で手にした重み――今の自分に欠けているのは、あの頃の情熱なのではないか。
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次の日、祐介は朝から上野部長の元へ向かった。資料を片手に、緊張の面持ちでプレゼンを始める。
「この企画案で、ぜひ進めさせていただきたいと思います。」
上野は腕を組み、少し考え込むような仕草を見せた。「確かに、リスクはある。だが……お前がここまでやり切ったのなら、俺も信じてみる価値があると思う。」
その言葉に、祐介の胸は熱くなった。「ありがとうございます、部長。」
帰り際、上野は軽く背中を叩きながら言った。「お前はもう一段上に行ける男だ。失敗を恐れるなよ。」
その言葉は、祐介の中に新たな火を灯した。
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土手道に立つ祐介の姿は、昨日とは少し違っていた。川向かいの明かりが、何となく少しだけ明るく見える。
「よし……やってやる。」
静かな夜風に乗せて、その声は空に吸い込まれていった。