(短編小説)彼女と手を繋ぐまで
付き合うって、どういうことだろう?そう思わずにはいられなかった。大学に入って初めてできた彼女、沙織と歩くたびに、心がざわつく。いつもは軽く過ぎていく道が、今日は妙に長く感じる。隣にいる彼女の存在が、なんだか現実味がなくて、夢を見ているようだった。
俺は、ただ彼女と一緒に歩いている。それだけなのに、心臓が早鐘を打つ。普段なら無意識に流れていく時間が、彼女といると一瞬一瞬が鮮明に感じられる。気の利いた言葉を考えようとするが、頭が空っぽになる。何を話していいのか、わからない。ただ、沈黙が続くことだけが怖かった。
「この道、結構歩きやすいね。」
沙織がふいに言葉を発した。俺は驚いたように顔を上げた。そうだ、沈黙していたのは俺だけだった。彼女はいつも自然体だ。どんな時も無理に笑わず、無理に話さず、だけど、そばにいてくれる。
「うん、そうだね。夜になると、もっと雰囲気よくなるかも。」
自分でも何を言っているのかよくわからない。ただ、彼女の言葉に答えなきゃと思って、とっさに出た言葉だった。沙織は優しく微笑んでくれた。それだけで、少しだけ安心する。でも、俺の頭の中は、あることがずっと占めていた。
**手を、繋ぎたい。**
彼女とこうして並んで歩くことに、なんの不自然さもない。周りから見れば、ごく普通のカップルだろう。でも、俺の心はそれとは違っていた。手を繋ぐという、ただそれだけのことが、こんなに大きな壁に感じるなんて。もし、沙織が嫌がったら?もし、無理に感じさせてしまったら?そう思うと、一歩が踏み出せない。
「寒くなってきたね。」
沙織がまた話しかけてくる。そう言われて、俺もようやく冷たい風を感じた。確かに、季節はもう秋も深まりつつある。彼女の細い肩にかけられた薄手のカーディガンが、風に揺れているのが見えた。
「少し寒いね…。帰り道、寒くない?」
俺は自然と声をかけた。彼女が小さく首を振る。
「大丈夫。歩いていると、ちょうどいいよ。」
その言葉を聞いて、俺は少しホッとする。だけど、またすぐに焦りが押し寄せてくる。このままじゃダメだ。このまま、ただ一緒に歩くだけじゃ、俺は何も変えられない。今日こそは、手を繋ぎたい。そう、決めていたのに。
俺はちらりと沙織の手元を見る。彼女の手は、軽く揺れている。手を出すべきか?今、この瞬間なら、自然にできるかもしれない。でも、躊躇が先に立つ。どうして、こんなに勇気が出ないんだろう。
歩道の街灯が、ぼんやりと二人の影を照らしている。その影が、俺たちの距離をさらに浮き彫りにするようだった。俺は意を決して、左手をゆっくり持ち上げる。少しでも彼女の手に近づこうとするが、その瞬間、心臓が跳ねるように高鳴る。
「……あのさ、」
ようやく声を絞り出す。沙織がこちらを見上げた。その視線が優しくて、逆に俺は言葉に詰まる。
「何?」
沙織の問いかけが、かすかに耳に届く。俺は視線を落として、何も言えないまま、彼女の手を見つめる。あと少し、あと一歩、勇気を出せば…。
彼女の手が、ほんの少しこちらに揺れたような気がした。俺の左手も、そっと近づいていく。