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結婚式①

結婚式①

結婚の為のバリ入りとなり日本でもまたしっかりお仕事をしてきました。
もう何十回と旦那様の待つバリへ行っていますが、この時の感覚は本当に嬉しくて毎回ドキドキです。
バリの空港に降りるとまず丁子たばこの香りとお線香の花の香で迎えてくれます。
この香がバリに到着したのだと実感させてくれるのです。
(残念ならが今のバリの空港は全くこの香りがしないので少し寂しく感じます。。。)
旦那様の姿を見つけると嬉しくて駆け寄りますが他のガイドさん達に冷やかされ「嬉しいねー」などと言われていました。

そのままウブドの定宿のバンガローへ直行です。
ここのバンガローも結納の儀式(みたいなもの)までの宿泊となります。
旦那様の家には遊びには行っていましたが、泊まったりすることはしていませんでした。
この辺がちゃんとしているのかちゃんとしていないのかはよくわからないところですが、きちんと家族になってからのクルンクンでの暮らしです。
(今ではインドネシアの法律で婚姻前の男女の生活は罰せられますが私が結婚したころはそんなものはいっさいありませでした)
その頃は宿泊施設でもその地域の警察に宿泊者名簿の提出があり、個人宅へ宿泊は基本NGなのでした。
といっても全て確認できないので彼氏のコスに泊まっている人も多くいたのでした。

ウブドのバンガローに到着すると12時をまわっているので日本からインスタントチャーハンの元などもっていっていたのでそれで夜ご飯にてコピを作ってもらいスタッフの皆さんとおしゃべりして早々に眠りについたのでした。
(日本のインスタント食品は本当においしく大活躍なのでした)
眠りにつく前のほんの少しの時間は虫の音が聞こえなんとも幸せなひとときなのでした。。
これから結婚の準備で毎日忙しくなります。。。。

翌日は実家へ行き納品された家具などの確認をしました。
家具はオーダーで全て同じ家紋みたいに花を入れてもらったのですが、ベッド背もたれの部分の家紋のお花は途中で作り疲れたような花になっていて超残念でしたが、これもバリらしくて良いと思い納得したのでした。
この花が他の家具にもついているですが、他の家具は先生の作品、ベッドについていた花は小学生の作品くらいの違いでこの状態て納品になるのはさすがバリだと思いました。
「え!これ同じ花???」今度写真とってきますねーーーホント驚きの出来です。

バリの家は入口の扉が小さいのが特徴で私の部屋も入口が小さいので家具は一旦バラしてから部屋に入れ部屋の中で組み立てなおしたそうです。
窓にはブルーと白の花柄の布で可愛いカーテンが付けられていて旦那様がつけてくれました。
1枚の布でこんな素敵なカーテンにしてくれるなんて嬉しすぎる。
高いシルクの高級カーテンではないけど私にとってはこんな部屋の一角のカーテンが最高級品に匹敵するものに感じるのがバリなのだと実感していました。

実家ではすでにいろいろと準備が開始されていて以前より整った感じになっていました。
そしてバンジャールの人が既にたくさんいらしたのでした。


結納

結婚式の前に本当は育った家と家族と別れ旦那様の家族に入るという儀式があり日本でいう結納みたいな儀式がありました。
外人の私はバリの家はないので旦那様の親戚で定宿としていたバンガローからお嫁入することになりました。
カーストも一緒だったのでお互いの家族も公認済という結婚となる為でした。

これがもし上のカーストから嫁入り先が下のカーストに落ちるときはこの儀式はなく駆け落ちのように一人で嫁入りするのでした。
結婚式にも出席は出来ません。
(でも後からお祝いにはいきます)
こういった儀式ではまだカーストが生きていますね。
他にもごく限られた地域で同じ村の中での結婚以外は家族と縁を切って嫁ぐという場合もあり、まだまだいろいろな風習も残るバリです。

この時の私のお仕度代の美容院代、旦那様の家族におもてなしをする料理、数台の車代金など全てこのバンガローの家族がお祝いにと準備してくれたのでした。
美容院はウブドで有名だった「サロンアユ」のアユ先生で外人へのお仕度も慣れていたのでした。
バンガローに来てくれての髪の毛のセットから入り着付けもキレイにしてくれました。
そして新しいクバヤとサロンで本当に楽しくって嬉しくかったのを今でも覚えています。

その前に・・・バリでは女の子は生まれてすぐピアスをつけます。そして金のブレスレットとアームレットをつけたりします。これは子供のお守りの意味があるようです。
ピアスは20台の時に開けていましたが、もう閉じてしまったので新しくあけたのでした。
でもバリの婚姻用のアクセサリーのビアスの針は太くてボカシーオイルをつけて着けないと入らないのでした。
そんな大きなピアスとネックレス、髪にはサングルと24Kの髪飾りをしてキラキラでした。
ちょっと派手めのクラブのママみたいになったのでした。

結納は旦那様の家族が3台の車に乗り私の実家にみたてたバンガローに迎えにくるところから始まります。。。。
そして家の寺でお別れの儀式をして、なんともまったりしたご飯&コピ時間がありいよいよクルンクンへの嫁入りとなります。
私と旦那様の乗る車のフロント部分には花など飾られていて婚姻関係とわかるものになっていたので、クラクションなどならしてお祝いしてくれる車もいました。
全く知らない人なのに外人(バリでは私は外人でしたね。。。)嫁だと見るとクラクションをならして笑顔をくれるのでした。
これもバリの素敵なところだと実感です。

まだバイパスが出来る前なのでウブドからクルンクンまでは通常の道を走り約40分かかります。
ギャニャールを過ぎたところで信号待ちをしていた私の乗っていた車に「ドン」とバイク信号で止まり切れずドアに当たってきてドアが凹んでしまったのでした。
そのバイクはそのまま当て逃げしていきました。
それまでの浮かれた気持ちからなんかあるのかなーと嫌な気持ちになったのを覚えています。
確かにこれからいろいろとあるのですがね。。。

旦那様の実家の前に着くとすでに家の前にお供えものがたくさん準備されていました。
車を降りて近所の皆さんや子供達が見てるところで儀式の開始です。
これらの儀式は旦那様のIBU/母と親戚のおば様方(Ibu-Ibu)が取り仕切ってくれます。
幾度となくこれらの儀式をやっているのでした。
ひとつひとつ本当はどんな意味があるのかなど聞きたかったのですが、そんな暇もなく言われるがまま椰子の実を転がしたり、燃やしたり、飲んだり、聖水を浴びたり、お供えをふんづけたりといろいろな事をしました。
そしてやっと家に入れるのでした。
送ってくれた村の皆さんにご飯とかコピとかお菓子をふるまって結納的な儀式は終わりました。

旦那様の実家の斜め前が村の集会場になっているのですが、そこにはブルーシートが引かれバンジャールの皆さんが既に結婚の準備の為にいろいろと作っていました。
こちらは男性チームで鳥、豚、アヒルなどを絞めてラワールやらサテを作ったり、日よけやお供えを置く台など大掛かりな大道具さん的な対応をする男性チーム。

女子チームはたくさんのIbu-Ibu(おばさまたち)は家の中で座っておしゃべりしながら朝から夕方までお供え作ったり、お米のお供えをチームに分かれて作っていました。
そのみなさんにきちんとご挨拶やらお菓子などを持っていったりするのが日課となるのでした。
バリでは本当に手作りなのでそれらを作ってくれる皆さんにいろいろとふるまうのでした。
これが結婚式の10日くらい前から開始し、結婚式も結局1週間くらいやるのでした。
大きく結婚式するよとは聞いていてもこんなに長期とはという感じでした。

またキッチンではその皆さんに出す、ご飯やコピやお菓子の準備をしている男女混合チームもいました。
もう誰が誰だかさっぱりわからずです。
私はお供えなどでは活躍できないので子供達といつも一緒に遊んでもらっていました。

旦那様の兄弟は6人で旦那様は4番目です。
その頃
一番上はお姉さんで同じカーストの人と結婚して既に2人の女の子がいました。
二番目もお姉さんでタバナンの下のカーストの人と結婚して1人女の子がいました。
三番目はお兄さんでジャワ人のお料理の上手な人と結婚して男の子と女の子とお腹に男の子がいるのでした。
四番目は旦那様です。
五番目は妹でデンパサールで同じカーストのところに嫁に行きお腹に女の子がいるのでした。
六番目の一番下の妹はその時は村の銀行みたいなところに勤めていて集金やら貸付の仕事をしていてお母さんのお手伝いでお供えものを毎日作って販売していました。
また近所は全て家族なので親戚の子供達もいて幼稚園の先生のような感じでインドネシア語やらトランプとか外で鬼ごっことかして遊んでくれたのでした。
そしてその後の甥っ子姪っ子はどんど生まれ増えていくのでした!!!
今では17人です!!

自分の結婚式だし、お米の粉でつくるお供えはお手伝いができるのでIbu-Ibu達に混ざり作っていました。
今ではだいぶ日本の暮らしもWebなどで気軽に見れますが、その頃は日本人=お金持ちというのが当たりまえで、着ているもの、身に着けているもの、給料の話などお金にまつわる話しばかりでちょっとうんざりなのでした。
そんな中でも嫌味をいういじわるな人もいるし、とってもフレンドリーな人もいて世界中どこにいっても同じなのだと思うのでした。
それに年中この全員と付き合うわけではないし、今はお手伝いしてくれているし、笑顔で対応していたのでした。
反対に旦那様の事などいろいろ聞いたりして大騒ぎでのお供え作りでした。

今ではバリでもどうだかわかりませんが、バリでは結婚指輪、婚約指輪などの風習は元々ありせん。
指輪の交換もないのです。
でもやはり今時は購入したほうがよいということで、クルンクンの貴金属店で結婚指輪と婚約指輪を旦那様か買ってくれました。
どれも24Kで、いつでも売ってお金に換金も出来るというものです。
婚約指輪はサイズがあわなくなり保管していて、結婚指輪だけは旦那様も私も今でも着けています。

毎日のようにたくさんの人が家にきていてあまり出かけられなかった私は結婚式の日の3日前に私のストレスもマックスになりブチ切れました。
結婚式なんて何度もしているのに、これ忘れた、あれ忘れた、、、、とibu-ibu達が言ってきたり、お手伝いに来てくれる人たちに小さな子供に言うように何十回もありがとうと言えとしつこく言われ、ご飯、おやつ、お茶を持っていく度にお礼をいっていたのに、「はいもっとありがとうと言って」と。。。なんじゃそりゃ、いい加減にしろ、もう結婚式しないとブチ切れたのでした。
バカじゃないし大人だからちゃんと理解しているしちゃんとしたタイミング心込めて言っていたのに言葉もそれしかしらないのかって感じで、ibu-ibuにバカにされるし、嫌味も言われるし疲れといら立ちで旦那に「いいかげんにしろーーー」とブチ切れたのでした。
私は基本大声で怒鳴ることなどはしないのですが、この時ばかりは我慢ならずブチ切れました。

また親戚のおばちゃんに「あんたは嫁だから台所でご飯食え」と嫌味を言われたりもしました。
旦那様の家は典型的なバリ建築で敷地も広く、私の部屋からは一旦庭に出で、離れ的なキッチンまでいかなくてはいけないのでした。
雨の日には傘もささないといけないのでした。

私の結婚した当時のバリではバリ嫁でどっぷりバリのローカルの中に入りノイローゼになり帰国する人が多くいました。
勿論離婚率も75%でした!!
そんなのもあり私はバリ人ではなく外人だから出来ない事も多くあるし、私の出来ることのみやると家族に伝えていたのでした。
その代わりしっかり働いてバリの家族の面倒はきちんと見ると決めていたのでした。
今でもバリでは家族にたかられるという問題はありますが、たかられたと感じる事はいっさいなく私が必要と判断したら費用は出すと伝えていました。
なんでもあげるのではなく、出来ない、出せないと伝える事も必要なのでした。
それにバリ人は言ってみるくらいの場合もあるので反対にこっちが真剣に悩む必要はなかったのでした。
でも旦那様のお母さんはとても働き者でその苦労もあったので私が休みなく仕事をしていることを知っていのたでいつも可哀そうだと泣いていました。
だからお供えつくりなんか出来なくてもよいといつも言っていましたが、唯一ティパットという椰子の葉であんだものの中にお米を入れてお供えにするものはとても難しいのですが、それは教わって唯一出来るのでお手伝いをしていました。
バリでは飲み食いより宗教行事を大切にしますが、ここの矛盾なんかも旦那様はこれから身をもってお金の使い方を学んでいくのでした。
お金の件はまた別途つづります。

結婚式の2日前に日本から家族、親戚、友達が到着したので、車2台で空港までお迎えに行きました。
今のキレイな空港ではなく以前のバリ空港は赤れんが作りでバリのお線香と丁子のたばこの匂いがする空港でした。
以前にも書きましたが、家族をまっていたとき以前勤めていた外務省の外郭団体で気に食わない部下を一掃した部長が一人で出て来たのでした。
家族と同じ飛行機だったようです。
迎えの人を待っていたようですが、いなくてきょろきょろしていました。
声かけようかなとも思いましたが、もうなんの関係もなく反対に嫌味でも言われたらいやだったので風景に溶け込ませ見なかったことにしたのでした。
なんだか不思議なご縁を見せますね。。。バリは。。。
ほどなくして家族と友達がでて来て、一人の友達はニュージーランドからバリに来てくれるので少し到着を待っていました。
バリ人の友達にガイドもお願いしていたので明日は観光してもらうことにしてウブドのホテルに送ったのでした。

家族のホテルは私が定宿にしているバンガローのオーナーの友達がやっている2家族が泊まれる小さなバンガローで既に下見をしていてコネクトルームにしてもらっていたので家族はそのバンガローに泊まるのでした。
プールもあり甥っ子達は朝からプール三昧で、姉と母と叔父たちは翌日の朝からウブドの市場まで歩いてお散歩にでかけたりみんななかなかアクティブにバリを満喫していました。

本当は結婚する当人達はあまり外に出かけたりしてはいけないようでしたが、これも仕方ないし特別に許してもらい、旦那様は運転はしないように言われ親戚の人に運転はお願いしていたのでした。
家族の観光にもつきそったりして忙しくこの時の記憶はちょっと飛んでしまっています。。。

少し長くなったので結婚式②につづきます。。。

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