すっかり忘れていましたが、結婚式の後家族や友達が帰国した後、3泊4日でロンボク島へ新婚旅行へいきました。 あまりバリ人ではハネムーンには行かないのですがせっかくなのでツーリストオフィスをしているバリ人の友達にロンボク島のオベロイのスイートビラを予約してもらいました。 飛行機で行ったのですが、この頃ロクボクまでの飛行機がなかなかの頻度で落ちていました。 その他ロンボク島へは高速船が出でいましたが今回は短時間で行ける飛行機でいくことにしたのでした。 小型飛行機で30分くらいのフラ
ヒンドゥー教では女性の生理の時は儀式が一切出来ません。 この為私も日本でクスリをもらい生理の日をずらしていました。 このようにいろいろな準備が進められいよいよ5月8日の当日です。 もう毎朝の日課で豚の鳴き声で目覚めるのでした。。。(豚をしめての料理作りの開始です) まずはポトンギギというヒドゥー教の犬歯を削り人間への仲間入りの儀式からの開始です。 このポトンギギはとてもお供えの量が多く一番お金もかかり大変なので結婚式と合わせて行ったり親戚でまとめておこなったりするものです
結婚式① 結婚の為のバリ入りとなり日本でもまたしっかりお仕事をしてきました。 もう何十回と旦那様の待つバリへ行っていますが、この時の感覚は本当に嬉しくて毎回ドキドキです。 バリの空港に降りるとまず丁子たばこの香りとお線香の花の香で迎えてくれます。 この香がバリに到着したのだと実感させてくれるのです。 (残念ならが今のバリの空港は全くこの香りがしないので少し寂しく感じます。。。) 旦那様の姿を見つけると嬉しくて駆け寄りますが他のガイドさん達に冷やかされ「嬉しいねー」などと言わ
話がいろいろとそれましたが、旦那様と出会い3年半が経過しました。 それまでの3年半は半年日本、半年バリの生活でした。 その頃のバリはノービザで2ヶ月滞在できたので年に3回のバリとなっていたのでした。 ビザをとっている人は継続的に居住する人で行き来している人は殆どがノービザ滞在でとても自由なのでした。 日本での生活ですが、仕事はダブル、トリプルと掛け持ちしてお休みはとらずとにかくバリ行きの費用を稼ぐ日々でした。 フリーランス状態でしたが、日本に帰国したら来て欲しいと言ってくだ
友達? 私をバリへ連れてきてくれて他にもいろいろな外国へ一緒に旅をしたKちゃんですが、Kちゃんは港々に女がいるような男性の女性版を目指していました。 とても魅力があり可愛い人だったので本当にいろいろな国へ行ってもすぐに彼氏を作っていました。 そんな私に彼氏の友達をあてがいますが、好き嫌いがはっきりしていた私は一人でホテルで過ごしたり、一人で買い物へ行くようになっていたのでした。 今思うとこれがあったので外国で一人で活動出来るようになったのでした。 これはある意味Kちゃんに感
定宿としていた親戚の奥さんはビジネスウーマンで土地の売買の仲介もしていました。 アメリカ人の別荘の管理をしてオーナーがバリに居ない時はホテルとして機能もさせていたので、その近くの土地でよいところがあるからと紹介され、静かな場所であること高台で8アール=800m2=240坪の土地を今から23数年前ですが権利書などの手続き費用も込みで75万円で購入しました。 そこにはヤシの木が17本あって、結婚式の時椰子の実が大量に必要なのでそこから取ってきたりしたのでした。 勿論私名義では購入
もう30年以上バリとかかわってきてバリ人にも変化がありますが、私が考えるバリ人はフレンドリーで寂しがり屋で冗談好きでお節介焼きが多く、優しく、自分の事が大好きでブライドが高い人達だと思います。 そしてバリの人はあまり一人では出かけません。 必ず誰かを誘ってでかけます。 また一人で家にいるのが寂しいかからとWarungや近所の友達の家にすぐに集まりおしゃべりしています。 日本人のように孤独が好きという人は少ないです。 ここで噂話しなどするが楽しく情報共有の場となっています。 こ
旦那様と、お付き合いしている3年半たくさんの出来事がありましたが、思い出しながら綴ります。 ●神様 神々の島バリと言われるくらい神様は身近にいます。 この為バリで感じる神様が根底にあるのでまず神様について綴ります。。。 母の実家は神主だったので小さなころから神様は近くにいて休みは母の実家に行って神社で遊んでいました。 しかし、この神社の裏にいくと一瞬で空気が変わる境界線みたいのがあるのを子供ながらに感じていて、ボール遊びのボールがあやまって裏に行ってしまうと怖くて一人で取
飛行機がバリ島のン・グラライ空港に到着する時にはいつもバリに居る神様に無事到着出来る事、これからの滞在についてのお礼や約束など心の中でお伝えします。 また日本に戻る時にも滞在中のお礼そしてまた参りますので日本でどうかお守りくださいと心の中でお伝え祈るのでした。(今は日本に戻る時には旦那様と一緒ですがバリにいる神様にお礼をお伝えすることは変わりなく続けています) バリとかかわるようになり本当に近くに神様がいるのを幾度と感じる事が起こります。。。 以前のバリの空港は赤れんが作り
その年の年末年始の旅行はシンガポール&バリ島で12月中はシンガポールでの買い物やクリスマスを過ごし、12月25日にバリへ入りました。 バリではもう海沿いの滞在ではなく時々お買い物へ行くのみにしてお気に入りのウブドへ直行していました。 (海沿いがヌサドゥア、ジンバラン、サヌール、クタ、セミニャック、チャングーなどですが、ウブドは山沿いで緑が多くとても静かで落ち着く地域です) そしてNew Yearはバリ島/ウブドで迎え現地の友達と楽しいパーティーの翌日もバリはお休みではなく日常
小さな時から海外の暮らしや旅行のTVをみるのが何より大好きで、自分の知らない世界の事にとても興味がありました。 そして小さな頃の夢はデザイナーになりパリに行くのを夢みていました。 母が洋裁が出来たのでその傍ら自分でデザインした人形の服やバックなどを制作してしました。 フランスのパリでバリ島ではありませんでした。 丸と濁点の差ですが大きな違いですね。。。。 好奇心が旺盛で旅が好きで、その頃のお仕事は外務省の外郭団体で海外に日本の援助を届ける仕事をしていたので海外との繋がりもと
私の旦那様はバリ人のアーティストで現在はレストランのキッチンでお仕事していて日本で暮らしています。 結婚3年目くらいまではギャラリーとセレクトショップをバリ島ウブドで営んでいて私は日本での仕事もあったので日本とバリを半分ずつという生活でした。 セレクトショップでは手作り石鹸やバリで見つけて仕入れた可愛い物などいろいろな物を販売していました。 近くに大きなホテルも出来て売り上げもあがってきたところでバリ島爆弾テロがあり観光客もいなくなってしまい、バリからいったん日本へ生活拠点を
自分の事ってわかっているようでわかっていない。 自分の描く自分でいたいと思う。でも本当の自分は違うのかもしれない。。。。 そうやって生きてきて思いもよらない事に直面する。 全部自分の人生。 世界中の人ひとり一人の人生全てで1冊の本が書けると思う。 でもそれはある意味自分探しのひとつなのだと。 残りの人生を楽しく豊かに暮らしていくために本当の自分と向き合う為にnoteを始めます。