バリ島とのご縁
小さな時から海外の暮らしや旅行のTVをみるのが何より大好きで、自分の知らない世界の事にとても興味がありました。
そして小さな頃の夢はデザイナーになりパリに行くのを夢みていました。
母が洋裁が出来たのでその傍ら自分でデザインした人形の服やバックなどを制作してしました。
フランスのパリでバリ島ではありませんでした。
丸と濁点の差ですが大きな違いですね。。。。
好奇心が旺盛で旅が好きで、その頃のお仕事は外務省の外郭団体で海外に日本の援助を届ける仕事をしていたので海外との繋がりもとても近く、なによりお休みも自分の仕事を調整すれば取りやすい環境にあり2週間程度のお休みは当たりまえで海外旅行も行きやすかったのでした。
そして初めてのバリは22歳の夏でした。
その頃は中学から仲良しのKちゃんと海外旅行へいくのが楽しみでお休みの度にいろいろな国へ旅行していました。
Kちゃんはその前既に2回バリ島へ知合いのお姉さんの買い付けなどに同行していてこれまた既に現地にバリ人の彼氏もいました。
そのKちゃんは世界中に彼氏を作ることを目標にしていてとてもアクティブな人でした。
そのおかげでどの国に行ってもなかなかディープな海外体験をしたのでした。
また旅行の下調べもしっかりしていて彼女から旅行の楽しみ方を学んだように思います。
今でもその楽しみ方法は変わっていません。
Kちゃんは面白くて、可愛くて、愛想が良くてどこへ行っても本当に彼氏をつくっていました。
私は以前から家族でキャンプへ行っていたので、私ならバリで絶対に楽しめるとKちゃんがバリへ誘ってくれたのでした。
バリへ行く前の印象としては子供のころTVのクイズ番組でチャンピオンの副賞として行ける旅行先で民族衣装を着て踊っている女性がいて、なんだかおもしろそうなところだなと思っていたのでした。
その頃のバリはバックパッカーの旅先という感じでなんとなく怪しげな雰囲気の場所でした。
今のようなアジアンリゾートで素敵な整ったバリへ移行する前の素朴なバリでした。
最初のバリはクタonlyで宿泊したのは今でも忘れません。「バクンサリバンガロー」でした。
そこに9泊したのでした。
いつも海外旅行では必ずお腹を壊す私でしたがバリは初回から全く平気でとても心地よかったのでした。
Kちゃんは彼氏との時間も作らないといけないので私は一人で買い物やエステなどに出かけていました。
一人でも全く平気で勿論しっかり下調べをしているのでそれを実際に探していくというのがとてもとても楽しかったのでした。
まだまだネット社会ではなかったのでそれからのバリはいろいろな本などを駆使して調べ上げるのは本当に楽しかったです。
この為バリ島関係の書籍は結婚する頃には150冊を超えていました。
多分もっていないバリ関係の本はなくて、旅行雑誌、写真集、エッセイ、歴史、宗教、個人出版本など全てのジャンルをもっていました。(引越するとき大好きな本数冊を残して全てブックオフに売ったのでした。。。)
それらの本を駆使して新しい観光地、お店、洋服、小物、食、エステ、マッサージと調べていたのでした。
それにKちゃんが毎回のバリでも宿泊先も歩いてお買い物へ行ける立地で選択してくれたのでした。
そんな時クタで既にバリ人と結婚していた日本人女性と出会いよくお店に遊びに行ったりもしていました。
布からオリジナルプリントをする工場も持っていて素敵なドレスやパンツを作っていました。
暑い時はそのお店に立ち寄りそこでコーラを飲ませてもらい休ませてもらったりしていました。
確かタカ子さんという女性だったと思います。(今どうされているのか・・・)
アクティブですごく素敵な大人な女性でお話も面白くバリの魅力をいっぱい教えていただきました。
この時いろいろな話を聞いていてなんとなく私もここで結婚するかも・・・という予感は実はあったのですが、Kちゃんがバリへ嫁ぐから一緒に来て欲しいといつも言われていたのでした。
私としては結婚というものにあまり興味がなく自分の好きな道を行けたらいいなーとずっと思っていたので普通の結婚はしないとだけ確信していました。
日焼けしたくないKちゃんと私はビーチへは行かずパンカーロのプールも入らない、マリンスポーツもしない、マッサージと買い物、おいしい食事、きれいな場所、新しい観光地などを訪れていました。
ローカルのみのところなんかもありそんなところではバリ語やインドネシア語を習ったりしていました。
2回目以降のバリはクタ&セミニャック&ウブドとなり、滞在期間もどんどん伸びていきました。
そして最後の2泊は高級ホテルに滞在する事にしていてその中でも今では老舗になったクプクプバロンのスイートがお気に入りとなりました。
その頃はスイートでも連泊しても全く高くなかったですし、新しいホテルやバンガローがどんどん建てられその周りも開発されて素敵なお店もどんどん作られていき行くのが本当に楽しかったです。
そしてなによりウブドではラフティングも大好きで水の中専用のシューズも購入したくらいで10回以上はやったと思います。
今の旦那様と日本の家族とも一緒にラフティングもやったくらいアユン川のラフティングは大好きでした。
バリらしい風景が堪能できるアユン川です。。。
その頃カード詐欺がバリで流行りだし、私達もデンパサールの中国系インドネシア人の女性と前日のランチのレストランで仲良くなり翌日自宅に招待されたときにこの詐欺に遭遇するのでした。
ところがトランプとかはババ抜きくらいしかできなかった二人はいろいろとこれから来る来客をだますから(本当は私達が騙されるという詐欺)といろいろと仕掛けやサインを教えられましたが何度やっても覚えきれず、呆れられ、案内された自宅がわからないようにおなじようなところぐるぐる回ってデンパサールのマタハリの前で降ろされたのでした。
その仲良くなったインドネシア人の女性いわく日本人は頭が良いものだけど、私達のアホさにはびっくりだと大笑いして無事に私達を開放してくれたのでした。
この時は二人で「出来ない、覚えないとにかくアホになろう」と密かに話しをしていたのでした。
そんなバリ通いが7年続いてそろそろバリで店でも開こうかといろいろ模索していたさなか、ウブド滞在中Kちゃんは彼氏と朝から彼氏(私の初バリの時の彼氏とは違う新しい彼氏でした)の村へのデートだったので一人でお買い物のついでに友達になったバリ人の働く店にランチを食べに行きました。
今はなくなってしまいましたが、ハノマン通りにあった「デボットアリ」という店で安くておいしかったし、ローカルも来るようなレストランでこの場所で出会って結婚したカップルが多くいるお店でした。
その頃にはバリ滞在中の荷物を預けておける友達もいて、道を歩いているとバリ人の友達がいつも声をかけてくれて、「いつバリへ帰って来たの」と言われるくらいになっていました。
そこで今の旦那様と出会いがあるのでした。。。。
この出会いは次回綴ります。。。。