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再バリ〜神様

旦那様と、お付き合いしている3年半たくさんの出来事がありましたが、思い出しながら綴ります。

●神様
神々の島バリと言われるくらい神様は身近にいます。
この為バリで感じる神様が根底にあるのでまず神様について綴ります。。。

母の実家は神主だったので小さなころから神様は近くにいて休みは母の実家に行って神社で遊んでいました。
しかし、この神社の裏にいくと一瞬で空気が変わる境界線みたいのがあるのを子供ながらに感じていて、ボール遊びのボールがあやまって裏に行ってしまうと怖くて一人で取にいけませんでした。
大人になっても日本で宗教活動に励んでいたわけでもなく毎朝仏壇の水を変える担当で父が早く亡くなっていたので手を毎日合わせる程度だったのでした。

父は私が14歳の時にガンでこの世を去りました。
ガンが判明してから半年で亡くなってしまいました。
私はお父さん子でとこにでもついていっていたのでその闘病と死は壮絶で中学生の私にはとてもショックな出来事でした。
みるみる痩せていて抗がん剤とがんの進行で全身の痛みと戦っていたりしてボロボロになっていました。
父が危篤になる時、亡くなる時どちらも父の夢をみました。
この為早朝に起こされた時亡くなったことも感じたのでした。
その頃からスピリチュアルな事に目が向くようになり、母が父の死後へんな宗教にはまっていったこともあり自分の中の神様的なものが確立されていったのだと思います。

母も父の死後子供二人を抱えて、協力的ではい父の親戚たちを相手に心のよりどころが欲しかったのだと思います。(昔の嫁姑で息子が死んだのはお前のせいだと言われていました)
湯水のように使えるお金があれば好きな宗教にお金を使うのは本人の意思だし良いと思いますが、人を助ける為の宗教なのに搾り取る姿は本当に許せなかったです。
でもその宗教活動をされている人、一個人としてはとても純粋な人で良い人だったのですが、とにかくお金、お金でもう本当にうんざりでした。
どこから聞いて来るのか知りませんが、誰かが死んだというと宗教の勧誘が始まるのです。
(私の娘も亡くなりましたがその時も同様でした。娘の件はまた別途綴ります)

母は宗教物を購入するに私達子供貯金にまで手を出していろいろなものを購入し、姉もハマっていったのでした。
あげくの果てに姉の結婚相手までそこで見つけようとしていたくらいです。
信じる、信じないは本当に個人の自由です。
しかし、心がボロボロの人からお金を搾り取る宗教と名の付くビジネスだったので本当許せなかったです。

その頃には私の中での神様はすでに確立されていたので、そんなお金、物ではなく神様は平等にあると思っていたので何度となく宗教活動に来る人達を追い返し断ち切らせたのでした。
どうにか母に話しをして活動や集会にもいかなくなりました。
母はその後も購入した仏像的なものを大切にしてあがめていますが、それは母の自由なので任せています。
そんな経験もあり神様はその人のこころの中にあるものだという強い思いもありバリの人が生活に宗教があるのが普通でお金ではない世界が存在したのでバリが好きになったのだと思います。

またバリの神様に前回のブログで記載したロン毛くんとの最後の出会いもお願いして叶っていたのでした。
その後も会いたいと願った人には必ず会えるのです。(携帯で連絡しなくてもです!!!)
もし会えない場合には必ずそこに理由(会ってはいけない理由)があったりするのでした。
それらは後に必ずその理由が判明するのです。

このような体験を当たりまえにバリでしているので飛行機がバリ島のン・グラライ空港に到着する時にバリに居る神様にご挨拶を必ずします。

バリとかかわるようになりよりいっそう目に見えないものの存在も身近に感じるようになり日本人は退化してきていると言われている感というものが研ぎ澄まされていくのでした。
この感、六感というものは生きる上で本当に大切なもので実はみんなが生まれながらにもっているものですが、それを感じることがなく過ごすと退化してしまうのだそうです。
今ではこの感で全て対応しているといってよいくらいです。
人に流されず自分の感、感覚で生きるのが本当に大切なのです。

バリのあるドゥックンに私もバリ語を勉強してバリでドゥックンになりなさいと言われた事があります。
そして人をみたときの感覚で近寄って欲しくない人がわかると思うがそれを続けないさいと言われました。
以前から人を見たとき近くにいてはダメな人がわかるようになっていたのでした。
これは旦那様にしか言っていませんでした。(あまり理解されないので)
しかし、仕事でもその感覚があるのでその場合はより丁寧に対応をするようにしています。
これはあくまでも仕事の場合です。
プライベートでは信用おけないので接触は一切しないようにしています。
このように私の中にも私だけの信仰がきちんとあるのでした。

旦那様の身近には本当にいつも神様がいて旦那様もお祈りをしています。
でも願ったからといって全て叶うというものではなくそこに努力なくしてはかなわないものもあります。
それがやっと最近理解できたと言っていたのが印象的でした。
また新たな彼の中の神様が変わった瞬間でした。

インドネシアは多宗教国ですが、1国民1つの宗教を選択しなくてはなりません。
宗教の選択の自由があります。
この為私も結婚するときにヒンドゥー教の宗教証明を作りました。

しかし、宗教が違うと考え方も極端な人もいて争いは絶えませんね。
それらは考え方の問題で宗教戦争といった名前がついてしまうのはとても残念です。
どんな宗教でも信じる神様がいること、また信仰せずとも自分が幸せでいればそれで良いのです。
それは自分の為にあるので大切にしていきたいですね。

このような状況でバリにいると不思議体験は数々あります。

バリではブラックマジック、ホワイトマジック等の話も日常的にあります。
その為お守りをもらいにドックン/祈祷師のところへ行くことも普通にあります。
バリの家族は良いときくといろいろなドゥクンのところへ行くので私もいろいろ連れて行ってもらいいろいろな体験をさせてもらいました。
この中で本当に感じるものがあったのは数人ですが。。。。
この件はまた次回に。。。。


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