25歳でセレクトショップを開業して黒字倒産した話 中編
夢のセレクトショップをオープンさせ、最初の秋冬商戦はオープン景気など全く関係ない中まずまずの結果で、秋冬シーズンでは利益を出せました。
僕がお店をしたのは2004年です。
国内ドメスティックブランドと、バレンシアガや、イブサンローラン、ドルチェアンドガッバーナ、グッチなどハイブランドに、ヴィンテージなユーズドのミックススタイルを提案していました。
当時だとあまりなかったかもしれません。
大阪府下の立地でやっていたのでそんなにお客様が殺到するようなお店ではありません。
どうすればいいかなぁ?と毎日考え、当時はブログなどあまり聞きませんし、ホームページが導入され始めたくらいです。
雑誌の影響力がまだ強い時代。
そこで、関西で一番強い【カジカジ】に取材してくれと、提案書と店舗画像、スタイリング写真を撮り送りました。
待てども連絡は一切来ませんでした。
「やっぱりあかんかぁ」
オープンしたばかりで顧客もいないので、DMは出せないし、ポスティングなんかダサいと思ってやりませんでした。
ただ待つだけ。
うーん。
3月は70万くらいで着地しそうな売り上げ。
4月はどうしようかなぁ?なんて考えていた時に、まず鳴らない店の電話が鳴りました。
出てみると、当時関西では人気のあった雑誌。
スパイマスターというところ。
話を聞くと、大阪府下特集をしたいから取材させてほしいとのこと。
きたー!
この時の僕は多分ニヤニヤしていたと思います。
簡単な打ち合わせをし、撮影当日。
なかなか売れなかった春アウターを着て、数点撮影。
雑誌発売日が楽しみやなと思いながら、そんな3月には、新規ブランドを見つけ東京まで初の展示会へ。
この時東京へ生まれて初めて行きました。
代官山で展示会。
なんか業界人みたいやん!
俺カッコイイんちゃう?
そこでは、新しいテーマの商品をチェックし、帰りには、わざわざ商品の型が載ってるスワッチを意味なくチェックしてました。笑
展示会の商品も根拠の無い自信しかありません。
そして、いよいよ取材された雑誌の発売日。
雑誌発売した途端に電話が鳴る。
「お店の場所わからないです」
「雑誌に載ってた商品ほしいのでですが」
など、お客様が沢山来てくれました。
結果売れなかったアウターは即完売し、完売しても客注の嵐。
タイミングよく、翌月も取材で載せていただき、一気にお店の認知があがり、売り上げも好調。
4月は100万を超えました。
5月も新規ブランドがハマって110万
6月は120万。7月は110万
15坪の1人で運営するお店。
定休日は、展示会へ行く時のみ。
10カ月無休でも毎日楽しく、ワクワクしてました。
俺めちゃくちゃ売れてるやん!
実際はまだまだ大したことないのですが、雑誌掲載で、雑誌を見たお客様が来店したら、「やっぱりこの店はカッコイイ」なんて言っていただいたりしていました。
完全に中二病発動
8月は、80万で少し落としましたが、まずまずの結果。
しかし、この時はメーカーが売れます!ってやつを展示会でもつけていました。
僕自身は、売れるかなぁ?って思っていてもメーカーを信用していました。
カモです。
売り上げは上がっていましたが、死に筋めた出ていることにこの時はまだ気づいてなかったのです。
それでも十分な利益で、3月から8月で人件費も引いた税引き利益が100万ほど。
当時は税引き利益なんか知りませんでしたが。笑
完全に「俺めちゃくちゃすごい」って完全に調子に乗り始めました。
その頃は毎日休みのない生活。
気づけば当時オープン前から3年以上付き合っていた同棲していた彼女はある日家から荷物ごと消えていました。
が、そこに目を向けることもせずに、次第に毎晩飲み歩く生活が始まりました。
今思えば店と家の往復で、帰ったら1人ってのが寂しかったのかもしれません。
実は、これが僕の成功を狂わせるきっかけになることをまだ気づいていませんでした。
後編へ続く