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Honesty

いま、あなたの心の中には、どの様な音楽が流れていますか。
 (ちょっと長文になっております。)

Honestly~日本語に訳すと「正直、誠実、率直」とかになるのでしょうかね。
 
皆さんご存知の様に「Honesty」。
この言葉をタイトルにしている、ビリー・ジョエル(Billy Joel)の曲が発表されたのは、1979年の事です。
ただ、「Honesty」は、ビリー・ジョエルが1978年に発表したアルバム『ニューヨーク52番街』からの第3弾シングルとしてリリースされています。
いまだに、多くのアーティストがカバーし、CMなどでも流れています。
 
そして、この曲をこよなく愛する男がワタシの友人にいました。過去形なのは、もう彼とは4年も連絡が取れていません。
 
彼とワタシは、新卒で同じ証券会社に就職し、同じ部署(バックオフィス業務)に配属となり、同じ独身寮で過ごしました。

彼は、甲子園球場近くで育ち、ワタシは北海道の片田舎で育ちました。
彼は、誰とでも明るく接することができ、先輩後輩、職場の女性陣、さらには他部門のお偉いさんからも目をかけられるほどでした。
ワタシは、ヒトとの距離に戸惑う、そんな感じでした。
ただ、配属先が同じなので、最初の2年程度は机を並べ、ランチも夕食も帰りの電車も同じという中では、お互いに色々と話しをしましたが、正直、ほとんど憶えていませんが、お互いの遠距離恋愛は、早々に終わってしまったことだけは記憶にあります。

まぁそんな彼なので、入社3年目からはセールス業務に異動となり、と言っても若い人ばかりの企業で、さらに中堅の実力のある方々は、ことごとく外資系企業に転職されていたという事情はあるかと思います。その頃には、ワタシもバックオフィス部門の現場責任者に近い状況にありましたので、海外から持ち込まれる様々なスキームに、セールス部門の彼と協力しながら対応していましたし、そこそこの充実感もありました。

ところが、その3年後に、ワタシも同じくセールス部門に異動となり、また彼と机を並べての仕事となりました。
その頃の彼は、トップセールスマンであり、彼のスタイルを参考に業務をこなしてきました。
彼は、相変わらずの人気者で、社内の上層部からも信頼されていましたし、取引先からも彼を指名する取引が多くありました。
その様な中でも、バブル崩壊からの不況と外資系証券会社の国内進出による収益悪化がワタシと彼の後ろにも迫っていました。

ワタシは、既に結婚し、二人目の子供が生まれる前でした。
ワタシは彼の担当する外資系証券へ、彼の口利きで転職する事が出来ました。
退職した次の日から、ワタシが顧客となり、彼に発注する関係になりましたが、かえってその方が彼との繋がりは深くなったような気がします。

三洋証券、北海道拓殖、山一證券の破綻が続き、ワタシと彼がいた証券会社も合従連衡を繰り返していく中で、彼も銀行系証券会社に転職します。
ワタシも転職先が1999年に大きな事件を起こしたことで、その年の暮れにレイオフとなり、香港を拠点とするオーナー系の証券会社に転職します。
彼もその頃には、一躍名をはせたアクティビストの企業に転職していました。
まぁ、その頃のワタシはフロントからバックまで、さらにはシステムまでを対応していたので、毎晩遅くまで業務が続いていました。
彼は、後輩や同僚を連れて、毎日のように飲み歩いていました。最後は、決まって銀座のお高いお店で独り飲んでいることが多かったと思います。
ワタシも、日々の業務に追われていて、最後は憂さ晴らしの様に銀座で独り飲んで帰るようなことが多くありました。
まぁ経緯は記憶にないのですが、ある時から、お互いに予定のないときには、浜松町で飲み始めて、銀座で解散、彼はいつも通り銀座の高いお店へ、ワタシは遅くにオフィスに戻って業務を続ける日々でした。

ワタシがそのオーナー系の証券会社を退職し、さらに別の上場オーナー系証券会社に転職しましたが、その頃の彼はオーナーが証券取引法違反(インサイダー取引)で逮捕されるなど、人生の岐路にかかっていたと思います。
彼は、それ以降は企業に勤めることなくデイトレーダーとして、フリーランス生活を始めます。
さらに、アクティビスト企業に勤めていた時の流れで、応援していた野球チームも関西の縦じまのチームから、千葉を本拠地とするチームのファンに変わっていました。フリーランスの身になってからは、自家用車で日本一周一筆書きの旅や、野球チーム応援のために日本中を旅していました。

ちなみに、そのオーナーの裁判では、彼も検察側の証人として法廷に立ち、一世一代の舞台だからと、ワタシを傍聴席に呼びつけ、ある意味で彼らしい笑いのある陳述だったのかなぁと思います。
当然、法廷をでてすぐに銀座で飲み始めましたが笑
 
ワタシは、その後も転職を重ねセルサイドからバイサイドに移り、さらに外資系から日本の企業に転職をし、彼とは毎月の様に飲み会を続けていましたし、お互いの贔屓のチーム同士の交流戦などがある場合は、ワタシの奥方を伴ってどちらかのチームのベイサイドのホテルに宿泊し、楽しいひと時を過ごしました。
ちなみに、奥方も我々の同期入社ですし、業務上の繋がりがありましたので、話題には事欠かなかったですね。
彼は幾つかの恋愛を経て独身でしたし、ワタシは子供も成人し、自身の仕事についても後進の育成に力を入れ始めて、プライベートでも奥方との時間を大切にと考え始めていました。

その流れで、3人で出雲大社と宍道湖のしじみラーメンを楽しむ旅にも行きました。それが2018年11月のことです。
その時の約束で、来年は安芸の宮島と大久野島を巡る旅としていましたが、その出発の羽田空港に彼は現れることはありませんでした。

その後は、同期の仲間と色々と手を尽くして捜索してみましたが、コロナ禍もあり動ける範囲も少ない中で、彼がこの世にいないかも知れないとも思い始めていました。
そうであれば、無理に彼の生死を確認するより、何処かで生きているんだろうなぁと思い、捜索はやめました。
 
さて、そんな彼の今日は59歳の誕生日です。
「Honesty」は、彼のカラオケの十八番でもありました。
ただ、いつも歌うと言う事ではなく、深夜の小さなカラオケスナックで、皆を楽しませるという感じではなく、独り自分のために歌う様な感じでした。
何と言っても普段のカラオケは、「銭形平次」、「妖怪人間ベム」などで、その場を盛り上げていましたし、AKB48も歌っていましたから。
 
彼が、多くの先輩、同僚、後輩から親しまれていたのは、持ち前の明るさや、ユニークなボキャブラリーだけではなく、やはり誰に対してもHonestyだったからだと思います。
だから、裁判でも弁護側ではなく検察側の証人として法廷にたったのだろうと思います。
 
本日の1曲は、やはりビリー・ジョエル(Billy Joel)の「Honesty」です。
ちなみに、Billy Joel(ビリー・ジョエル)は、2024年1月24日に16年ぶりの来日することが決定しています。
彼と一緒に東京ドームにいきたいと思います。
 

本日は、ここまで。お付き合いいただき、有難うございました。

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