狼狽えた(うろたえた)出来事
2013年5月下旬のある朝、目覚めて何となく視界がくっきりとは見えないなと思いながら、自室から階段を降り、一階の居間に入ろうとしたその時、テレビのニュース画面が目に入った瞬間、ものすごいショックを受けました。
テレビの画面がほとんど見えず、画面の真ん中辺しか見えないのです。
「エ~~~ッ?!」
体が完全に居間に入ってテレビを見ると、今度はしっかり見えるのです。
「ナニ、コレ?」
そこで、片眼を閉じてみることにしました。まず、右目を閉じました。周りの様子は、まったく問題なく見ることができます。ではと、左目を閉じて、今度は本当にびっくりしました。
先のショックを感じた状況が再現されました。
視界のほぼ9割が真っ黒で、かろうじて目の真ん中あたりに水平に少し視界が確保できているだけの状態です。
いきなり「失明?」の恐怖感が襲ってきました。
狼狽える、とはこういう事態なんだと実感した瞬間です。
この日はいつもの出勤場所ではなく、小田急小田原線の終点近くの駅前に集合することになっていたので、こんな状態で動きたくはなかったのですが、仕事とあっては休むわけにはいきません。
電車に揺られている間、不安はどんどん大きくなっていくばかりですが、まだ、医者は空いていない時間帯です。
集合したら、即現地の眼医者に駆け込もうと腹をくくって、40分ほどの間、寝て過ごすことにしました。
当然、しっかりと寝れるわけがありません。ただ目を閉じているだけです。そうしていないと、右目の暗さが気になってしようがなかったのです。
やっと現地に着き、駅前で集合した後、事情を話してすぐに眼医者を教えてもらい、駆け込みました。
診断の結果は眼底出血。眼球の裏を通っている静脈が詰まって、通常の太さの3倍になっていて、そこから少しずつ漏れていた血液が、一挙に網膜の所に溢れたからとの説明でした。
しかし、たまたま入った眼科医で、今後治療を継続して通うことはできません。この事実を前提に、医者は診断だけすると、処方箋を書くでもなくなんの治療も行わないまま「次の方」?酷いもんです。親身になって、今後どうしたら良いかなどの話は一切出ませんでいた。
すぐに帰路につきました。
最初は狼狽え、次には将来の不安ばかりが想像してしまい、暗黒な一日を過ごしました。
翌日、地元の眼医者に駆け付け、投薬のみの措置で、約80%視界を取り戻しました。でも、残りの20%はなかなか回復しませんでした。
投薬を続けて、丸1年経過した時は視界は約90%程度まで回復しましたが、片眼を閉じると、まだ視界が黒く見え、不気味さは継続していました。
丸1年半が過ぎたころから、視界は95%近くにまで回復し、黒かった部分も、だんだん透明度がアップしてきました。
そして、2024年秋の今、透明度もさらにアップして、今では片眼を閉じても、少し視界に違和感があるくらいになっています。
ここまで来るのに、11年!かかったのです。