身体と心を見つめ続けて見えたこと
道楽屋の由来
道楽屋 サファイア です。
道楽という単語を屋号に使って、10年が過ぎました。
何故、「道楽」なのか。
道というのは、お稽古事や武術などで使われる言葉ですよね。
茶道、剣道、柔道、華道、書道
私は、これらの「道」が付く世界はすべて、人生の在り方を体得しながら極めていく世界だと考えています。
道楽屋とは、人生の在り方を考える人の御用聞きでありたい。
そのひとつが、10年前に始めたボディケアという、身体を整えることでした。ですが、私個人が未熟だった部分もあり、
「本当に健康な人とは、どういう人か?」
という素朴な疑問を自分の身体に問いかけられる経験もしました。
人生の在り方を考える
「人生の在り方を考えるには、まず身体を整えること」
これが10年の間に気が付いた、身体と心の真理です。
身体がバランスを崩しているから、心も不安定になる。
では、何から整えていくのか?
食を変えるのは、至難の業だということも、ファスティングを通して知りました。私個人は、1日1食が当たり前なのですが、そうではない人の方が9割だということも、お客様やいろんな人との交流の中で気が付きました。
身体は、いつも正直である
どんなに言葉を尽くしても、伝わらないこともあります。
それは、その人の視点や考え方、価値観などいろんな部分を原因だとすることもできますが、それでは誰も得をしないのです。
ですが。
上がらなかった腕が楽に動く
痛くてつけなかった膝をつけて正座が出来る
膝をつけて座る方が楽
これらを自分の身体で体験することは、難しい説明を10分聞くよりも説得力があるのです。
なので、今年は「まず、身体で体感する」ということを多くの人に体験してもらっております。
私の思い描く「人生の在り方」
自分の持つ技能、技術で誰かの悩みを解決出来たら
セラピストや施術家になる人の多くは、こういう思いをもって仕事をされていることでしょう。
私も、10年前はそうでした。
ただ、最近になって、過去を思い出して恥じ入ってしまうのは、
「他人の健康をコントロールしようと必死になっていた」
という独り相撲というか、自分の思い上がりでした。
どんなに誰とも逢わないで過ごそうとしても、私たちは誰かのおかげで生活を成り立たせています。
私自身が、常に「整った状態でいる」ことで、相手も「整った状態」に近づこうとする。
これが、道楽屋としての基本姿勢なのだなと、ようやく腑に落ちました。
楽器の調律をするのに、音叉が必要なように。
身体のバランスを調律するには、調律された人が必要である。
つまり、セラピストや治療家、施術家自体が「整った状態」であることが、クライアント様の身体や心を「整った状態」にする最も重要なポイントである。
であるならば、私は「人生の在り方」を誰よりも考えて過ごしていきたい。
在り方を考えるとは
では、どういう人生を歩むのか。
今までの人生が褒められたものかどうかは、私が決めることではなく、他者が他者の基準で判断すること。
人生において、大事なことは何だろうか?
その基準と照らし合わせて今、自分はどうなのか?
ここを衣食住の3つから、考える。
肉体、感情、精神の3つから考える。
そんなことを日々、愚直に続けていくことが、道楽屋の日常だということです。
自分の器以上の中身を入れられる自分になる
身の丈に合う、という言葉がありますが、自分の器を決めてしまうのは、自分を見くびった時からです。
私は、常に、1ミリでも器を広く深くしていきたい。
それが、結果。
私のところへお越しになるクライアント様の「人生の在り方」を拡げ深めることに通じると考えています。
心のこと、身体のこと。
何か、お困りごとがございましたら、僭越ながらお伺い致します。
最後までお目通しいただき、ありがとうございました。
サファイア 拝