~ 高校生時代 (後編) ~
入学して最初の一年間が過ぎて
そして、二年に上がる際にクラス替えが行われた。
この高校では特に部活に入るような決まりはなかったが、親友の勧めで興味本位から
『弓道部』 に入部することにした。
親友曰く
「就職活動の際にメリットになるから」。
最初の頃は、" 在席だけのサボり 《幽霊部員》 "を一年生の半分以上の間、ずっと決め込んでいたが
あるとき 同級生の女子部員たちから
「話しがあるんだけど。」 と親友と自分とが
部室に呼び出されたことがあった。
部活の顧問、先輩たちと同級生の部員たち
みんな交えた上で、それぞれが真剣な表情をしている。
皆から単刀直入に切り出され
「どうして部活に来ないのか」 と小一、二時間ほど問い詰められたのだった。
中学校での、あの苦い記憶が蘇る……
単純に「行くのが面倒だった」
「部活に顔を出さなくても大丈夫なのだろうと思っていた」と、やる気がなかったことを 率直に告白したのだった。。
一同はとりあえずしぶしぶ、その言い分に理解を示してくれたこともあって
この一件を持って改心し、この出来事をきっかけに、真面目に部活動に取り組んでゆくことになる。
その後、自分を誘った親友は、女子部員や顧問の上から目線の態度に不貞腐れた様子になってしまい、それを度々咎められたことで次第に関係が拗れ、女子部員たちとの折り合いも悪かったこともあってか、それ以降、部活に来ることはなくなってしまった。
休み時間や下校時間にも、「一緒に部活に行こう」と、何度も説得を試みたが、親友の気持ちが変わることはなく…
つらい気持ちが分かっていたこともあって、それ以上、無理強いすることは出来なかった。
部活の顧問は担任の先生でもあり、部員の女子生徒たちがクラスメートでもあったので、親友が部活に姿を見せなくなってからも、自分は気軽に" 部活をサボる "ことは出来なくなってしまったのが本音だったりする。
今思えば、かえってそれが良かったのかも知れない。
片や親友は、別の高校に進学した他の(共通の)友人らと帰り道に合流し、街のゲームセンターや古本屋、中古ゲームショップなどを溜まり場として遊んでいたり、それぞれの友達の家に寄って それなりに放課後を楽しんでいる様子だった。
最初の頃は自分も部活をサボっていたので一緒に遊び歩いていたが、部活に本腰を入れたことによってそれが二手に別れてしまった。
弓道部では先輩たちから熱心に面倒を見て貰っていた。
心を入れ換えたことで女子部員たちとの関係も良好だったので、不思議と「行きたくない」 とはそれほど思わなかった。
自分たちの学年の男子部員の数が少なかったこともあり、周りの先輩や先生たちに期待されていたことも やる気を上げる大きな理由になっていたし
何より、初めて触れる" 弓道 " という競技が、思いのほか面白かったことも 理由としてあったのだと思う。
高校二年の中盤、この頃から少しだけ、自分の気持ちが上向きになっていった気がする。
県内の大会にその都度、参加・遠征し、決して大きな結果を残すことはできなかったが、団体戦も個人戦も有無を云わさずメンバーに入れて貰えていたので、それがなんだか誇らしい気持ちだった。
皆で何かひとつの目標を決め、熱心に取り組むことの楽しさや大切さを知ったような気がした。
放課後は 学校から結構離れた場所にある部室に向かい、部員たちとひたすら弓道に励んだ思い出。
雨の日も風の日も雪の日も。
雷が鳴っても、台風が来ても。
男子の先輩部員たちもやんちゃな人が多かったので、部室に行くと誰かが飲んだであろうアルコール飲料の缶が転がっていたり、本棚にエロ本がこっそりと置いてあったり…
先生や顧問たちは多忙だったこともあり、部室にはあまり来れなかったので、それをいい事に 隠れるようにタバコを吸っていたりと、なにげに裏ではひっそりとやりたい放題だった。
皆、気のいい 面倒見の良い先輩たちばかりだったが、自分はそれだけは真似できなかった。
女子の先輩や部員たちもそれを知ってはいたが、呆れた様子で知らないふりを決め込むのだった。
あるとき、タバコの吸殻が顧問の先生に見つかってしまい、学校の職員室で事情聴取をされたりもしたが、当事者たちだけ厳重注意をされただけで、クラブ活動はなんとか存続を免れたのだった。
相変わらず教室の居心地は悪かったが、頻繁に大会の遠征に行ったり、" 弓道部員 "という肩書きがついたことで、ぼっちでも、まわりから冷やかな目で見られることはなくなった。
まわりからすれば物静かで、黙々と弓道に励んでいるのだろう。という良いイメージが、自分に重なっていったのだと思う。
月日が過ぎて
高校もようやく三年生になった頃。
二年からのクラス替えもなく、このまま友達もできずにまた一年間過ごすのか...
という憂鬱な思いだった。
教室の場所が変わっただけで、それほど何も変わらないような。
だが、それは思わぬ形で 杞憂に終わった
あるとき。
体育の授業中、組対抗のバスケットの試合を皆で座りながら見ていた。
ふと… クラスメートのひとりが自分の背中を指差し
「 蜂!背中に蜂、ついてんだけど!!」
と驚いた様子で声高らかに叫びだした。
まわりの生徒たちもざわざわと自分の背中を指指しながら、しきりに
「それ、スズメバチじゃん!!」と騒いでいる。
何がなんだか分からず 慌てふためいていたところを、同じクラスの仲良し三人組のグループが、スズメバチを素手で払いのけて追っ払ってくれたのだった
助けて貰えた感謝と申し訳なさから
「ありがとう…」 とお礼を伝えところから、次第に他愛もないことを話すようになり、
その三人組とは そこから自然と仲良くなっていったのだった。
お昼休みに席を繋げて「一緒に弁当食べない?」と誘って貰えたことが、たまらなく嬉しかった。
三人とも野球が好きだったので、スポーツをやらない自分には、その話題に参加することにはかなり気を遣っていたが
それでも共に行動できる・話せるクラスメートがいることは、とても心強かったのだと思う。
思い返しても、クラスメートと仲良くなるきっかけをくれたあのスズメバチには、人知れず今でも感謝をしている。
あぶないのは、たしかに危ないのだが。。
イレギュラーな要因が、人との出逢いのきっかけになることもあるのだな…と。
学校の行事の球技大会では、その三人組と一緒に卓球を選び、「かったるい~」 とやる気もなくそれぞれ早々にわざと敗退しては、 教室に戻って雑談したり、トランプをしたり、興味本位から他の競技を見に行ったりと、かなりゆるく過ごしたりしていた。
高校三年の修学旅行
京都観光や 奈良の東大寺
滋賀県の延暦寺
福岡の大宰府天満宮
長崎のハウステンボスや、熊本の阿蘇が行き先だったが
クラスに思わぬ友人たちが出来たことで、これまでのひとりぼっちの憂鬱さや不安感は、一切なくなっていた。
新幹線やバス、飛行機を乗り継ぎながら移動する、時間に追われた ひどくせわしない弾丸ツアーだったが、それも今となっては良い思い出である。
帰りの飛行機では、体調を崩し 家族に風邪を土産として持ち帰ってしまうのだった。。
高校三年になってからは、クラスの人間関係も部活もプライベートも、それなりに充実した生活を送れていたと思う。
部活では先輩たちが卒業し、自分たちが後輩たちの面倒を見る役割となった。
そんなあるとき。
自分の家の車庫から (祖父の) スクーターが夜中にこっそりと盗まれる事件が起きた。
警察が家にやってきて事情聴取。
それからほどなくして犯人は見つかったようだったが、親の言う話しでは、犯人は高校生だったようだ。 事件は速やかに解決し、スクーターも戻り、いつものように部活に向かったある日。
後輩の生徒数人が、部活に暫く姿を見せなかったことがあっ た。
皆に話しを聞くと、「" 悪いこと "をしたから謹慎。」ということだった。
学校では、担任(顧問)に、自分だけが個人的に呼び出されたことがあった。
学校生活で人に迷惑を掛けるような何かをした心当たりもなかったので、先日部室で、こっそりとタバコを吸っていた部員たちの聞き取りか何かだと思っていた。
先生はおもむろに 「部活の人間関係のなかで、最近なにかトラブルはなかった…?」 と自分に尋ねた。
特に思い当たる節はなかったので、「特に何もないですけど。」 と答えると、その聞き取りはすぐに終わった。
いま思えば自分でも「本当に鈍感だな...」 と思うのだけど...
うちのスクーターを盗んで捕まったのは、
『 部活の後輩たち 』だったのだと…
ずいぶんと後になってから気が付いたのだった。
その後、後輩たちは 「お騒がせしました…」 と悪びれながら恥ずかしそうに部活に姿を見せたが、自分や周りの部員たちとそれまで築いてきた関係が拗れることは特になかった。
自分も後輩たちとは遠征の休憩時間に雑談をしたり、皆でトランプをして遊んだり、お昼をコンビニに一緒に買いに行って食べたりと、部活での関係には何ら問題がなかった。
おそらく後輩たちは、うちを" 先輩(自分)の家だと知らずに "祖父のスクーターを盗んで行ったのだと思う。
親や担任は、部員たちにはそれとなくオブラートに話しつつ、自分に対してはあえて、事実を知らせなかったんだろうと思う。
高校三年も後半。
ひととおり大会も終わって部活も引退となり、就職活動もそれぞれ始まったあたりから、自分もある程度自由が利くようになっていった。
学校が15時に終わると、(部活に来なくなっていた)親友と共に下校し、他の高校に進学していた中学の頃の友人たちと待ち合わせ合流して、 街の小さなゲームショップに寄り、アーケードゲームを連コインしたり、友人の家に寄って、当時流行っていたプレステやセガサターンの対戦格闘ゲームで馬鹿騒ぎしながら、毎晩 夜遅くまで入り浸ったりしていた。
友人たちはそれぞれ、地元の企業に就職が決まったり、または県内・県外の専門学校や大学に進学することを選んだりと、それぞれが割りとスムーズに卒業後の進路が決まったりしていた。
自分も、両親との話し合いの末、専門学校への進学をそのとき決めたのだった。
いまになって思えば、その選択は両親の希望と、自分の成り行き任せに近かったが。
こうして、高校時代の大まかなエピソードを書き綴ってみたけど…
序盤のつらい時期もあれば、中盤以降から徐々に運気もやる気も上向きになり、それなりに充実もしていて、中学時代の頃よりはだいぶ 気持ちも明るくなっていったのではないかなと思います。
それでも、高校生活の半分くらいは
友達ができずに淡々と…自分の感情や個性を押し殺していた、ひどく暗い時期でもあったと思います。
あの頃の自分は、「虚無感」に苛まれていて
自分が自分ではないような…
地に足がつかないような…
そんな孤独感や不安感を抱えながら、つらい気持ちで生きていたのだと あらためて思います。
最後に...
まわりの人たちが迷惑するので、ムシャクシャすることがあったとしても 出来心だとしても
決して " 盗んだバイクで走り出す "のだけは、絶対にやめてください...
(*ToT).。o○
長文になりましたが…
この記事に目を通してくれて、拙い文章を読んでくれて、本当にありがとうございました。
あらためて、お礼を申し上げます。
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