「見積もり」というコミュニケーション
久々に本気で見積書の作成に鉛筆なめなめ頭を抱えています。
こんにちは、稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。最近フォロワーさんやスキの数が増えてきて嬉しい通知が増えております。これからもよろしくお願いします。よかったらスキやフォローをお願いします。あとポッドキャストも水曜・土曜に更新中です。@sevenina
「見積もり」というものにはいくつかありますね。
✅ 時間の見積もり
✅ 作業人数の見積もり
✅ 段取りの見積もり などなど。
そして、それら全ては金額というものの試算、
もっと言えば、ちゃんと儲かる設計にするための費用として
計算されるものです。
この「見積もり」においてすごくシンプルに考えれば、
ただの作業時間だけで見積っちゃえばこれほど簡単なものはないのです。
単純に「何時間or何日かかるか」だけの話ですから。
難しいのは「価値」をどうつけるかという部分です。
「価値」というものは
存在自体を相手と共有しておかないと生まれないものです。
例えば、Tシャツを考えましょう。
Tシャツの存在が「着るもの」なのか「おしゃれをするもの」なのかを作る側と着る側が共有しておかないといけません。「着るもの」とだけ捉えていると、レジ横で売っている1パック3枚で1000円のTシャツも、BEAMSとかで売ってる10,000円のTシャツも価値は同じですから、人は安い方の1,000円を選んじゃいます。だって着れればいいんだもの。
しかし、「おしゃれをするもの」という共有をしていると後者を選ぶわけです。 #ちなみに僕は10000円のTシャツは持っていません
つまり、そのもの(項目)をどう捉えてほしいかということをしっかり主張しないと、相手は高い安いの判断を正しく行えません。逆に言えば、そこを理解していただけていないと、ただ金額をふっかけてくる人として受け取られてしまいます。
見積ひとつでもコミュニケーションだなとつくづく感じています。
作業時間だけの対価だけでなく「価値」を主張するなら、
事前のコミュニケーションもそうですが、
書面や書面を提出時のコミュニケーションもすごく大事ですな。
ぼちぼち中堅ですし、それなりに重宝されている状況です。
それなりの自信を胸に、価値を見積もりに乗せつつ
いい仕事ができるように・・・。
改めてこの「見積もり」というコミュニケーションに
今、向き合っております。