見出し画像

情報が集落化するから色んな立場の情報を集めた方がいいと思う。

「情報の集落化」というとややこしい言い方になりますが、どうも最近このまとまりがあるが故にコミュニケーションがめんどくさくなっているような気がしています。

人は所属する集団によって、目にしたり、耳にする情報に偏りが生じその集団の中では偏った情報が普通になりいずれ常識となります。しかし、他の集団からみればそこで語られていることは場合によっては非常識であることもたまにあります。常識・非常識の違いであればまだよいほうで、知っている知らないということだってあり得ます

これはインターネットの普及による影響であることは間違いないでしょう。インターネットがなかった頃、つまり新聞やテレビといったマスメディアが主流だったころは情報の発信源は、マスメディア側でしたのでいうなれば、テレビ局の数、新聞社の数の偏りでよかったのです。

しかもその情報の宛先は「マス」ですから、集落の大きさが大きかったため、ちょっと横を見たくらいでは別の集落に触れることが少なかったのではないでしょうか?

もちろん中にはそこを冷静に感じ取るために、複数の新聞を読み複数のテレビ曲での報道を見て比べて、判断している人もいました。そして意外とそういう人は物知りだったり博学と言われていたと思います。

変わって、今はテクノロジーが発達し、「パーソナライズされた情報」が手元にやってくる時代になっています。非常に便利であるといえますが、これをうがった見方をすれば、「パーソナライズされた情報」しか手元にやってこない時代であるともいえます。

しかも、パーソナライズされているから、情報の内容は非常に心地よい、耳触りがいいのです。これに慣れてしまうと、気づけば情報のぬるま湯に浸かってしまうような状態になりかねません。

インターネットが普及し情報の集落化が加速する今、僕たちはその昔のいくつかの新聞を同時に読むという行為に近いことをしなければならないと思います。そうでないと、昔のその状態にもまして考え方が固定化されてしまうような気がしています。

方法はいくつかあるでしょう。

例えばそれは、複数のコミュニティに属するということかもしれません。
例えばそれは、オンラインとオフラインのメディアに触れておくことかもしれません。

いずれにしても非効率で非合理的な手法でしょう。デジタルが嫌う世界かもしれません。しかし、その手間を惜しんでいてはどこか情報にギスギスした感じを纏わせてしまいそうな、そんな気配すら最近しています。

いいなと思ったら応援しよう!

イナチャンネルnote - 稲本浩介⛩️
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!