「命名」について
命名・・・
事物や概念などに名前をつけること。すでに存在する単語についても,なぜその語形が生じたかという,いわゆる語源が問題になりうるが,言語生活のなかで実際の問題となるのは,これまでなかった事物や概念をどう呼ぶかという場合である。まったく新しい語形の創造,既存の単語の転用,既存の単語や形態素からの合成,外国語の使用など,いくつかの方法がある。他の語形との区別が明らかなこと,指示物の性質などをよく表わしていると思われること,語感がよい (また悪い) ことなど,命名に際しては種々の条件が考慮される。
僕は結構いろんなものに名前をつけるのが好きです。作った企画やちょっとした何かについつい名前をつけます。
名前をつけるには僕なりの理由があります。それはすごく単純で、
それをきちんと存在させる
ということです。名前があるとどこか存在感が生まれます。
命名というのは、生まれたから名前をつけるというようなイメージがあるかもしれませんが、実は逆じゃないかと思っているくらいです。名前をつけるから生まれるんだと。
例えば病名。
あまり良くないように聞こえるかもしれませんが、一番わかりやすいのがこれじゃないかと思うんで、病気でたとえますね。
なんとなくですが、これまで病気とされていなかった症状に名前が付くことで病気として生まれます。もちろん、そこに病気が存在することになるから、治療するという目標が生まれるわけですね。※あくまで感覚的な話ですよ。
自分自身の周りの話をしましょう。
僕はこの3月にある企画書をまとめました。そしてその企画書で綴った考え方にある名前をつけました。それは別にサービスでもパッケージでもなく、考え方なので実態のないフワッとしたものだったのです。
しかし、名前をつけたので、どこか存在感を示し、約半年たった今、その考え方をその名前と一緒に持ち合わせるようになりました。
少しむず痒い感じすらあるほどの浸透力。
「これこれこんな考え方なんですよ」
という伝え方ではここまで浸透しなかった変な自信があります。
以前この話はリフレーミングという視点から書いていましたが、考えてみるとこの命名ってのが大きかったような気がしてきています。
・・ということで、今僕は後輩にあるプランを考えさせているわけですが、それに「名前をつけよ」とお題を出しています。あと4日程度でその宿題が返ってくるわけですが、すごく楽しみだというのはここだけの話。
さあ自分のアイデアをもっと前に出したいなら、あとで改名してもいいから名前をつけてみましょう。
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!