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怠けるということ

2017年5月31日 投稿

プログラマに必要な素養の一つとして、よく言われるのが

「怠惰」

であることが上げられます。

かの有名なクラウゼビッツの戦争論においても、有能な指揮官の類型について以下のように述べられています。

  • 有能な怠け者は指揮官に

  • 有能な働き者は参謀に

  • 無能な怠け者は下士官に

  • 無能な働き者は処刑

よく、プログラマは作業者であったり、職人であったりすると思われがちですが、そうではありません。

特に近頃は、どう書くかと言うテクニックよりも、そもそも「何を書くか」そして「何を書かないか」の最初の戦略がモノを言います。

「車輪の再発明」といわれるように、なんでも頑張って作ればいいと言うものではありませんし、職人の腕自慢ほど自己満足で他人にとってどうでもいいものはありません。

芸術や科学研究ならいざしらず、限られた時間と資源で最大の効果を狙うビジネスのステージにおいては、そもそも目的地に向かうときのプランニング能力の違いが圧倒的な結果の差をもたらします。

その時に、働き者であればあるほど、一生懸命さや、どれだけ動き回るかに価値を置いてしまうのに対して、有能な怠け者は、「横着」をして「最大の効果」と求めます。

  • いま、当たり前にやってる作業を簡略化できないものか?

  • ん?そもそもこの作業は必要?

  • やらなくて済む方法は・・・・!!

例えば、昨年注目を集めた真田幸村をはじめとした信州真田氏。

栄達の突破口を開いたのは、幸村のおじいさんである真田幸隆という人物でした。

彼はごく小さな山奥の村の、小豪族でしかありませんでした。
しかも、隣接する大きな豪族である村上氏に領地を奪われ流浪の身になってしまいます。
そして、しばらくのち、風林火山で有名な武田信玄が甲斐国(現在の山梨県)から信州(現在の長野県)に勢力を拡大していきました。
次々と信州の小豪族を従えその勢いはとどまるところを知りません。
そして、いよいよ村上氏が立てこもる砥石城と言う城を攻め立てます。
それまで、ほぼ無敵だった武田軍は村上氏相手に大苦戦し、有力な古参の重臣たちまでも戦死するほどの大きな痛手を負う始末。
それでも武田軍は攻める手を緩めることをせず、被害は広がる一方で
家臣たちがあの手この手を使って奮戦しますが、堅固な砥石城を攻め落とすことはできなかったのです。
そこへ現れたのが、領地を奪われ流浪の身となった真田幸隆でした。
彼は、砥石城にこもる旧知の仲間を頼りに、城の中から反乱を起こすように謀を企みます。
するとどんなに力攻めをしても落ちなかった砥石城は敢え無く陥落。
武田軍はあっさりと砥石城を手にすることができ、北信州一帯をその勢力図の範疇に取り込むことになったのです。
このことをきっかけに、真田幸隆は流浪の身から大戦国大名である武田氏の重臣として活躍することになるのでした。

彼が、武辺一辺倒の武人でしかなかったら、領地を追われた流浪の身から大大名の重臣になることはなかったでしょう。
「どうやって戦うか?」
ではなく
「どうやって戦わずに勝つか?」
を考えたところに、彼の優秀さが見て取れます。

有名な戦略書である「孫子の兵法」にも戦さの上策は「戦わずして勝つ」ことだと述べています。

一生懸命「働く」だけでは結果はついてくるとは限りません。
特に私たちは、「一生懸命頑張る」ことを美徳としがちですが、本当は「一生懸命頑張った人が報われる」ように、仕組みを変えていくことが大事なのではないでしょうか?

そのために、戦略を鍛え、方策についての見聞を広め、適材適所でそれらを当てはめていくことが、私たちには求められているのだと思います。

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