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急性期病院の思い出

私は2017年5月20日avm破裂により救急搬送された
その後緊急手術となり血種除去とナイダス摘出手術を行った

5月26日脳卒中ケアユニット(SCU)から一般病棟へと移った
5月28日抜糸をし、このあたりから、リハビリ病院への転院の話が浮上してきた。
5月31日急にリハ病院から理学療法士の先生が面談に来られて
6月3日病室が変わった。
6月7日急に看護師さんに明日転院と言われた
6月8日午前9時前にリハ病院転院のため急性期病院を退院した。

一般病棟に移ってからの急性期病院の看護師さんは常に忙しそうだった。
夜勤のスタッフが少なくなるとかで夜中にトイレコールをしたら、尿瓶でお願いしますと言われたことがあった。
なんとか試みてみたが、そんなもの未体験のため出るものもでなかった。結局トイレに連れて行ってもらった。
療法士さんがたはいつも優しかった。私が恋ダンスを踊れるようになりたいと言ったら踊れるようになるように一緒に頑張ろうって動画を見てくれたりもした。
ちょっとずつリハビリの内容の難易度があがり、SCUでまったく動かなかった手足は細かくは動かなかったが2週間のうちに大きく動かすことはできるようになっていた。何かに捕まったり支えを使うことによって自力で立つこともできるようになっていた。指の分離運動も完全ではないが中指くらいまでは指を折ることはできるようになった。薬指、小指は難しかった。
退院間際になると頭痛も収まってきておりロキソニンを飲むこともなくなってきていた。ただ排便コントロールはできていないままだった。6月3日に座薬により排便をしたが、転院の前日までは便秘のままだった。転院前日看護師さんに座薬入れる?と聞かれたがお腹が痛いまま新しい病院には行きたくなくそのままで転院してしまった。これが大きく後悔をする原因となってしまった。
病室が移ってからiPadを持ち込んでアニメを見ようと思った。病前アニメが大好きだった。夢中になると20話くらい一気見していたが、この時、集中力は30分も持たなかった。1話もしっかり見ることができず。あんなに好きだったアニメもネットもまったく楽しむことができなかった。

急性期病院ではほぼ寝てばっかりだった。とのかく毎日が眠くて眠くて起きていられなかった。昼間も寝て就寝時間になったら、朝までしっかり寝ていた。医師に眠くて仕方がないって訴えたこともあったが、「特にやることないからね」というバッサリした一言が返ってきたことはあった。

転院日当日私は病院の病衣を着ていたため自分の服に着替える必要があった着替えは母親に手伝ってもらったのだが、肩はあがらないわけではないのだがブラのホックに手がまわらなかった。肩もあがらないわけではないのだが袖を自分で通すことができなかった。それどころか左右がわからなかった。母が手伝ってくれなければ私はきっと左右前後が逆のまま服を着ることになったのではないかと思う。

急性期病院の滞在日数は約2週間ほどだった。ただ医師も看護師も療法士さんもみんなよくしてくれた。転院当日医師に、「また来てね」って言われた時はちょっと寂しくて涙が出た。療法士さんもこのいち連の流れがみうさんは何もかもが早すぎて私たちもビックリと言われた。看護師さんにも同じようなことを言われた。こんな慌ただしい人はあんまりみかけないとも言われた。死にかけて大手術を行った私は2週間の期間で目覚ましい回復を遂げてリハビリ病院へと転院した。

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