リハビリ病院に転院した
2017年6月8日
5月20日にavm破裂で脳出血しavm摘出手術を行いトータル2週間ほど入院していた急性期病院を退院しリハビリ病院に転院した。
私が希望をしたリハビリ病院は県内からの転院希望者が多く。通常1か月から2か月待ちとのことだが、何をどうしてそうなったのかはわからないがわずか2週間という異例のスピードで転院することができた。
これには急性期病院の療法士の先生もビックリされていた。「みうさんは何もかもが早すぎる」と一言独り言を言われたことを聞き逃さなかった。
転院は朝9時に、当日家族が朝迎えに来てくれて荷物をまとめてくれた。
夫が買いそろえてくれた転院先のリハ病院で着る服に病衣から着替えた。
母親に手伝ってもらいながらこの時初めて自分で服の着替えをした。今まで看護師さんにしてもらっていたからまったく気付かなかったのだが、服の左右前後がしっかり把握することができず、体が動かないこともあってなかなか服を着ることができなかった。当然ブラジャーのホックなんて自分で止めることができなかった。ほとんど母親に整えてもらってなんとか服を着ることができた。
頭が坊主頭なこともあり、買ってもらったニット帽を被って病院をでた。執刀していただいた女医の先生に「また来てね」って笑顔で手を振られてちょっと淋しい気持ちになって涙が出た。
転院先の病院に到着すると車まで看護師さんが車椅子で迎えにきてくださった。そこから入院の手続きが始まった。ほとんどのことを家族がしてくれていたので私はこのとき何をしていたかは何も覚えていない。
一通り手続きが済んだら、個室に入れられてカンファレンスが始まった。
私が主治医ですと自己紹介された医師がリハビリドクターとのことだ。
中肉中背のちっちゃいおじさんだった。
カンファレンスルームには主治医、担当看護師、担当PT,担当OT,担当STと夫、実母、私という形で入った。そこでいくつか主治医から質問された。
順番はどうだったか覚えてはいないが「前の病院のリハビリはどうだったか?と聞かれた。「杖をついて歩いたことはあります」と答えた。答えた瞬間歩行器使って歩いてみてと言われた。ヒザ折れが激しく、院内は車椅子での移動になった。急性期病院での食事のことも聞かれた。主治医から強い口調で「あなた、前の病院でご飯は粥とおかずも柔らかいものを食べていたみたいだけどなんで?」と質問された。内心「そんな怒られても出されたもの食べてただけだし」と思った。「手術明け頭が痛くなることが多く病院の配慮でそうなっただけだと思います。」とだけ答えた。医師は普通食にできないことを少々不服そうに、「ではご飯はお粥をやめて柔らかいもので出します」ということになった。朝の牛乳は苦手なのでヨーグルトに変えてもらった。ベッド柵のことについても主治医に聞かれたがそれは自分では答えることができず、夫に答えてもらった。
カンファレンスルームから出ると担当看護師さんに今日から過ごす病室へ案内された。4人部屋でトイレ付の部屋だった。自分のベッドの場所を案内されたら、OTさんとPTさんの監視の元ベッド乗り移りの評価がいつの間にか始まった。そこでPTさんに「ブレーキ!」と叱られた。
なんのことかわからなかった。急性期病院では重病人だったこともあって、車いすの操作なんて自分でやったことがなかったのだ。教えてもらったこともなかった。いつも看護師さんや療法士さんに車椅子を押してもらって、ベッドにもほぼ抱き抱えてもらいながら乗り移っていた。
ベッド柵や捕まるものがあればそれを頼りに少し動けたので乗り移りくらいなら多少はできたのだが、前述のブレーキの件があったため、ベッドから車いすの乗り移りも看護師さんの見守りが必要となり自由にベッドから離れることができない身となった。
同時にトイレ動作の評価も始まった。トイレの乗り移りは看護師さんにブレーキをかけてもらった後は自分で乗り移りをしていたので、これは大丈夫と自信はあったのだが、トイレも看護師さんの監視の元じゃないとできないことになった。これには非常にがっかりしてしまった。
そうこうしていると昼食時間になった。真横にSTさんがついている中食事評価もされた。一緒に見させてもらいますの一言はあったものの微妙な気分だった。お茶を何度も飲まされた。初めての病院での初めての昼食はパスタにご飯みたいな組み合わせだった。急性期病院で毎日お粥とぐちゃっとした柔らかいものばっかりだったので久しぶりににんにくの風味がするパスタはとてもおいしく感じた。
昼食後担当看護師さんから病棟を案内してもらい、1日のスケジュールを聞いて歯磨きをしてその日は慌ただしく終わった。夕方には家族は帰ってしまったため、とても不安だった。
実は家族は私とは別に今後の方針などを主治医とのカンファレンスがあったがそこに私の両親と夫と出席したところ主治医から「これからは旦那さんだけの参加でけっこうです」とお断りされてしまったらしい。この先大切な話は全て夫しか聞かされることがなくなり両親はその時は不安を感じたと後から聞いた。
入院初日はこんな慌ただしい感じで過ぎて行った。