秋の夜長に読む、読みたくなかった本。
この本、自分が信頼する諸先輩方から絶賛されていたのですごく読みたかったけど、読みたくなかったヤツです。
「サッカーを楽しむ心を育てて勝つ 京都精華学園高校のマネジメント術」
どうせ選手に絶対に怒鳴ったりしないコーチが出てくるんでしょ?選手はみんなサッカーを心から楽しんでるんでしょ?その学校では罰走とか連帯責任とかないんでしょ?
このチームの選手は自分で考えて判断することが尊重されていて、選手同士は声かけあって、コーチの思い通りに動かされずに試合ができるんでしょ?
それでさ、毎日朝から晩まで長時間の厳しい練習に耐えて、大勢の補欠の中からほんの一握りのレギュラーしか試合に出られないようなスポーツ推薦とかある私立の強豪校に勝っちゃったりするんでしょ?
だから読みたくなかったんです。でも読みました。その通りでした。
子供のサッカーの試合を初めて観戦したときから感じていた違和感、それは大人から子どもへ向かってまっすぐ降りている主従関係です。
大人から一方的に指示を受け続ける子どもたち。怒声罵声を浴びせミスを許さない大人たち。ミスに怯え萎縮し、試合後の長い説教で達成感も楽しさも忘れてしまう子どもたち。
ほんの7歳か8歳でレギュラーだ補欠だと選別を受け、遠征に行っても試合にほとんど出られずに帰ってくる子どもたち。俺はお前より上だ、お前は補欠だなどと言い合って喧嘩したり、大人そっくりな暴言を吐く子どもたち。試合に負ければ誰かに責任を押し付ける子どもたち。
指導者の暴言や嘲笑にたえきれず、チームを去って2度とサッカーをプレイしない子どもたち。そんな子どもを量産しているのはいったい誰?
これは大げさな表現じゃないんです。自分の目で見て、耳で聞いてきました。
人の意識を変えることがどれだけ難しいかはわかってます。自分の意識だって変えることは難しいのだから。
一方で、日本各地に旧態依然の指導方法をアップデートして結果を出している素晴らしい指導者やチームがあることも知っている。でもそれはやっぱり少数派。じゃなきゃこんな本は出版されない。
でもこの本を読んでひとつ希望があった。それはこの本に出てくる監督、越智健一郎さんが実はその昔、自分もシゴく怒鳴るの旧式監督だったと告白されていることだ。
「指導者を始めたばかりの頃は、ステレオタイプの体育会系の指導者でした。ジャージを来て、笛をピッピと吹いて、ときには子どもたちを怒ってという・・・・。今の越智を知っている人からは、想像がつかないかもしれません。」
気づけば人は変わることができると、肩を押してくれている。
何度も取り上げて申し訳ないけれど、元バレーボール日本代表の益子直美さんは熱心に「子どもを萎縮させない指導」「怒らない指導」を広めていらっしゃる。サッカー界にもこんな人がいて欲しい。
クリックするのが面倒と言わず、ぜひこの短い映像を見て欲しい。
最初に映るこの監督の表情と声、これは僕があちこちの試合会場でみた指導者と瓜二つだ。熱心なことは伝わってくるし、彼に悪気がないのもわかる。
でもこの日、彼は気づくことができた。
益子さんは言う。
僕はたまたま息子を通じて、日本のスポーツや教育現場における子どもと大人の関係について深く考えるきっかけを与えてもらったのだけど、実はそれは彼ら子どもの世界と地続きである我々大人の社会をそっくりそのまま映しているように思えてならない。
侮辱に耐え、家族との時間を犠牲にしてまで働き続け、最後は精神を病んだり自ら命を落とすような大人がいる。
まず我々大人が気づき、声をあげ続けなければ。