【ななちゃんのお産⑥】

※子宮内で亡くなってしまった、赤ちゃんのお話です。辛くなってしまう方は、読み進めないでくださいね。

産まれた日の日記はこちら。


今日は、産まれた後の記憶をたどっていきたいと思ってます。

産まれた直後の気持ちはこちら。


2024.5.10  pm16:28 生まれ
(30w6d)子宮内胎児死亡判明から8日目
入院から4日目

産まれたときは、達成感なのかな?晴々しい気持ちでいっぱいだった。やっと産まれたぞっという高揚感もあった。

カンガルーケアもさせてもらい、夫も抱っこし、添い寝も少しした後、すでに夕方だったこともあり、夫は次男の保育園のお迎えに向かった。

その前に一応、検査のことを先生と話し合った。

ななちゃんの病気は、お腹の中である程度わかっていたこともあり、解剖検査はしない、胎盤の検査もしない。見た目を遺伝科の先生が診察してくださる、というので、それだけお願いし、そこで何か染色体検査をした方がよい、となれば染色体の検査もお願いしよう、ということで話がまとまり、ななちゃんは診察に向かった。そのときに、計測もしてもらった。

そして戻ってきたななちゃんは、見た目的にわかる異常はなしということで、染色体検査もお願いしなかった。


私は、その場で少し休ませてもらってから、部屋に戻らせてもらい、食事も少し食べた。

この日の夕食


さすがに疲れ切っていて、間食できなかった。胸もいっぱいだった。


助産師さんが、ななちゃんの身長、体重などをカードに書いてきてくださった。またへその緒も持ってきてくださった。

へその緒もすごく立派だった。
よかった、私の栄養がななちゃんに送られていたんだな。心臓が弱いから、この太いへその緒があるママのところで、たくさん栄養をもらおうって思って、このお腹にやってきたのかな、そんなことを考えた。


産まれる前、ななちゃんの見た目は、どんな感じだろうと思っていた。
いざ会ってみると、ただただ可愛いと親だからか思ったが、たぶんお腹の中にずっといたから、皮膚が少しふやけてしまって、皮が剥けやすくなっていて、真っ赤の部分もあった。
顔を押さえて(頭を抱えて)産まれてきたので、手を身体の前に置くと、顔の皮も剥けてしまったのか、赤かった。
胎児水腫の状態だから、顔も身体もすごく浮腫んでいるのかなーって思ってたんだけど、心臓が止まった後に水が抜けたのか、あまり浮腫んでいなく、可愛らしかった。そして、とっても安らかな表情をしていた。苦しんでいたとは思えない。とても優しい顔だった。
みんな夫に似ていると言った。
目が大きくて(ずっと閉じていたけど)鼻は、私の母に似ているような感じ、でも、口元はやっぱり夫に似ていたかもしれない。

病室にも連れてきてもらい、一緒に過ごした。
ベッドに寝かせ、添い寝もした。

ただ赤ちゃんは眠っているだけな感じもしてしまった。


私は、子宮内でななちゃんが亡くなってから、あらゆる死産のブログや本を読んでいたので、そのときに初めて、亡くした子どもを「天使」とか、子どもを亡くした親を「天使ママ」「天使パパ」と呼ぶのだということを知った。

私の中で、天使は、ものすごく可愛いイメージ。でも、ななちゃんは、もちろん私にとっては、可愛いたった1人のななちゃんという娘なんだけれど、お腹の中で、脈が30台になっても逞しく生き続けた末に産まれてきたので、なんだか天使というよりも「神様」なんじゃないかと思うほど、尊い存在な気がしていた。

取り上げてくださった助産師さんも

「ななさーん」

って声をかけていて、

なんだか「ななちゃん」ではなくて、「ななさん」って感じがするのよね

と言っていた。あー、同じ感じに思ってくださってるのかな、って思って嬉しくなった。


そして、この日はななちゃんと一緒に添い寝して夜を過ごすのだけれど、本当このときの自分は、なんだか4人の母になって、それがとても誇らしいなってそう思っていました。


そう思わせてくれて、ななちゃん本当にありがとう。
私をななちゃんの母親に選んでくれてありがとう。

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