リサいつ来る?
ここ十数年で言われはじめた『リサイクル』という考え方ですが、実は古式ゆかしき日本のモノに対する愛着や愛情を示す行動であります。
先ず『リサイクル』を考える時、『ペットボトルをコンビニのゴミ箱にちゃんと分別して捨てること』だけを言っているのではないということはキッチリ理解しておかなければなりません。
私たちは実際のところそのリサイクルの一体どれだけの部分を見聞きして、どの部分に関わっているんでしょうか?
結論から言えば、まぁ、ほとんどの部分で関りは無いでしょうね?
毎日食べてる冷凍食品群が、シナのどの地域のどの工場でどのように生産されているか誰も知らないし、それでもブランド名を信頼して食べてるのと同じくだと思うんですが、このペットボトルもちゃんとリサイクルされてるんだろうなと思って協力してるだけです。
大量生産大量消費時代という経済の最果てに一度は到達した私たち日本人のさすがの鈍感力と言いますか、緩くて鈍ってしまった感性の成せる業でもあります。
アメリカの国力と権威が、サブプライムローンの信用失墜を契機に一気に凋落していったことと、後ろでシナが操る再生エネルギー関連産業の躍進とで、世界の大口投資家が証券よりも石油や穀物、金など安定品目を求め始めた。
まさに潮目が変わった。
その空いたスペースに日本人の虎の子を『NISA』や『iDeCo』で還流させようという魂胆にまんまと乗っかった。
どこの国の何売ってる会社かもわからないところに投資するんですから勇気ありますよね。
石油依存から脱却ともなれば『OPEC2』だって原油価格を高値で維持するでしょうし、石油依存大国である日本なんか、ガソリンに灯油、石油精製品に留まらず、火力発電で作る電気は工場の燃料費にも影響するし、ビニールハウスのボイラーの軽油、ゴミ焼却施設の重油、ほとんど石油で動いてると言っても過言ではない状況だけに、ありとあらゆる製品が便乗して値上げになりますよ、普通に。
となると、世界の大富豪である産油国のセレブ達だって石油を買っちゃうんでしょうから、江戸時代の飢饉に瀕して米商人たちが米を買占めるようなもんで、世が世なら一揆ですよ。
このように、産油国のお金持ちですらエコノミック・アニマル化するくらいですから、世界平和の象徴、地球環境の切り札『リサイクル』も、当初のイメージとは程遠く、その善意も影響も思ったほどでもなくなる。
ペットボトルに関しては多少なりともリサイクルする意味はあるんでしょうけど、それにしたって分別に掛かる費用やら、保管に掛かる費用、収集から加工までにかかる経費、実際にリサイクルされるまでの費用、商品化までにかかる費用、運搬費、その他諸々考えますと、リサイクルしない方がかえって経済的だったりするワケでありますからね?
とにかくエコは金が掛かるんだって。なんべんも言うけど。
田舎町に不釣合いな大型リサイクル施設を建設したものの、その施設の維持運営費、もちろん借金の返済など考えますと、果たしてそのリサイクルという概念自体がいかがなものだったのかと…
まるで、ジャンヌ・ダルクに付き従い、武器を持って蜂起した農民たちのように、『ジャンヌ・ダルク亡き今、この振り上げた拳をどこに収めればよいのか…』という状況じゃないか?
『ペットボトル』を生産する費用も高騰している。『リサイクル』する費用も同様に高騰している。
さて何をもって『リサイクル』とするのか?
よくよく考えてみれば、そういった『一番大事なところ』を今まで私たちは前向きにちゃんと話し合って無かったと思いませんか?
『地球環境のために』というキラーワードにそそのかされたままでね?