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レクイエーション

葬式会場は時に同窓会の雰囲気を漂わせることがある。とても不謹慎ですよ。誰もわざわざ言わないですけども。

世界でも長寿な国ではありますが、暑いって死に、寒いって死に、病気になって死に、事故に遭って死に、脱衣所と風呂との温度差で死ぬ。どうあれ生まれれば死ぬ。それが人間として生まれた定めでございます。

これまた不思議なもので『死んでやる』って言うヤツこそ死なないのに、老後の人生設計をしっかり立ててる人がすぐ死んだり、『これでよく生きてたな!』って事故でも死ななかったりラジバンダリであります。

まさに『寿命』ってことなんでしょうけども、そう言い聞かせてはいるんですが、日本人最高齢者になってたのなら未だしも、それほど『寿』な感じもしないケースがほとんどであります。

『ヒソヒソ話の迷惑度』

電車内でイヤホンから漏れ出す音楽に対して真っ先に注意するであろう世代こそが、式の最中に隣の人とひそひそずっと喋ってたりするワケです。

死んだのも同世代なら、まだ生きてるのも同世代ですから、その死を悼む『葬式』であることよりも、久しぶりに会ったことの方が勝っちゃうって図式、それが瞬時にコンセンサスとなる。

ご都合主義ここに極まれり。

死んだ人の前でよく『元気か?』とか言えるよね?って話なんですけども、人間『年がいく』ってことは即ち『視野が狭まる』ことと同義なので、それも仕方がないのかな?とも思います。

人間は『経験』つーのを積み重ねていきますから、『逃げる』のも早くなり、『言い訳のスキル』もグングン上達します。『日本語わからない』をパワーワードだと信じて疑わない外国人よりも厄介です。

『お葬式の最中なんで静かにしてもらえませんか?』

言いたくなる気持ちはわかります。周りの人たちの為にも言ってあげた方がいいと判断されることは正しいと思います。

聞き分けのよい未就学児のようにすうっと大人しくなるかどうか、一か八かやってみるのもいいかも知れないですが、あまりおススメはしません。

十中八九が『そんな大きな声で喋ってないやろ!』って言いますね、『大声で喋るな』と注意していないにもかかわらず。

どうやら『葬式の最中のヒソヒソ話は坊さんのお経の邪魔をしていない音量なのでセーフ』という計算式のようです。

他にも、『今ちょっと喋っただけだろうが!』とか、『だったらアイツも注意してこいや!』とか、そもそも集中力も羞恥心もとっくに失効してるんで、素直さも反省する気持ちなんかもあるハズは無く、相手が折れるまでただただ言い訳ともつかない言い訳をし、最終的には『年寄りを虐めて面白いのか!』と被害者側に立とうとするでしょう。

まるで堂々と歩いてゆく無敵マリオのようですね。誰も勝てん。

こういった破廉恥さだけは見習わないようにしたいものですが、それも含めてやがて年老いていく道でもあるのかな?と思います。

ともあれ全方位型のご愁傷様でございます。どうぞみなさまにも安らぎと平安が訪れますことを祈りつつ。

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