着れない?
ボタンを押したらギターの音が出るギターみたいな形をしたおもちゃを『ギター』として認識できる人には理解できる話かも知れませんが、ほとんどの人は『ギターじゃない』と断定すると仮定した上でキモノの話です。
普段にキモノを着ると『あら?お出かけ?』と聞かれることでしょう。
『はい、ちょっとスーパーまで。』と答えたら、微笑と会釈で『え?』と思われるんじゃないかってくらいに、現代においてキモノは『日常で着ない服』となっております。
興味も関心も無い人にとっちゃ『だいたいこんなのいつ着んの?』っちゅうものなので、窓が無いのにカーテン買うみたいな話であります。
往々にしておっしゃるのは『キモノなんか自分で着れない。』ってことですけど、いや、着れるでしょ。江戸時代はみんな着てたんやから。
友達の結婚式やなんかに振袖とか留袖とか着て行くだけで、いい店でのディナーくらいの着付け料を払わないといけない。
『だったら洋服でいいや。』はい、それでいいでしょう。
キモノを着ない人がよくおっしゃるのは『もっと簡単に着られれば着る人も増えるって!』ってことですが、ホントにそうか?
サッと羽織って、ホックで止めてジッパーで締める。キティちゃんやロック名盤ジャケットみたいなプリントのキモノがユニクロなんかで発売されれば大ヒット商品になるやもしれませんね?
つまり『楽』かどうかってことなんだと思いますけど、いよいよここまで来たかぁ…
『シン・キモノ』
価格は最も大事でしょう。手頃さが無いとヒットしないし。あと、家で洗濯が出来る気軽さや、素材も吸水性に優れているとか、通気性がいい、保温性が高い、動きやすいとか、ウェストはゴムで、つまり、より洋服ライクであることでしょうか?
更にヒットに繋げるためにはブランドのマーケティングとそのセンス、あとは広告力ですね。
『ハリウッドの有名女優が映画で着てたヒステリック・グラマーの小紋』なんかだと世界中でヒットするやも知れませんね?それが『日本のキモノ』として認識されるかどうかは別にして。
『合理的であれば何でも良い』という理屈だけで世界が動いてるのであれば、洋服が日本の着衣として定着してもう100年ほどになりますが、とっくに現在の『キモノ』としての形態は留めていないでしょう。
むしろ、世界の一流デザイナーの誰一人としてキモノに取り組まないことでもわかるように、服飾文化にちゃんとしたリスペクトを持つ人の多くは、現在の形態のキモノをちゃんと理解してリスペクトしているということが言えるんじゃないでしょうか?
『着なくなったキモノをドレスに再利用』が、現代ではとても合理的なことのように言われることがあります。
アリかナシかで言うならもちろんアリですけど、両親が嫁入りに持たしてくれたキモノを切り刻んでそれこそ『いつ着る?』ってテイストのシャツに仕立て直しても平気な感性の人ならいいと思いますよ?どうぞ。
『死んだらこの家の墓になんか入りたくないから散骨して』みたいなね?『誰からも忘れ去られる存在であれ』という一つの達観じゃないすかね?
ただそれは『七夕に使った笹を釣竿に再利用しました』と同じレベルの話でして、明らかに釣竿はカーボンファイバーなどで作った方が合理的です。
笹竹で作った釣竿を引っさげ、防波堤でアジ釣りしてる人を見れば、一般釣り客のほとんどが『頭がおかしいのかユーチューブか』と思うでしょう。
キモノって、キモノとして作られ、キモノとして着られることが、実は最も合理的な状態なのでございます。
あなたの生きた年数の数十倍、数百倍もの時間をそうやって形作られてきて今のキモノの形に辿りついていますからね?
しかもそれをキモノを着たことが無い人が言ったってね?『大谷翔平のストレートなら打てるやろ』言うてるのと同じレベルの話ですからね?
聞かなかったことにしてあげます。今日は特別に。