まじめのめ
『マジメだけが取り柄です。』
母が、家庭訪問で担任教師に先ず言う言葉であり、母が強烈に持つイメージでもあります。
イメージとしては勤勉実直なんでしょうが、実はそうでもない。
ちなみに『真面目』は、『しんめんもく』と読みます。今は『まじめ』で同じ意味ですが、本来の意味ですと『真剣になる』という意味があります。
小学6年の春、少年野球でレギュラーになった。
夏に転校生がやってきて、すぐさまレギュラーを奪われることになるんだが、悔しさよりももっと違う何かをその頃には既に手に入れてたんだろうと今にして思う。
中学校で野球部に入ったが、さらにレギュラー争いは激化する。同じポジションに常時4人以上がいて、勝ち目なんてまるで無い。
でも『グラウンド整備』は誰にも負けない。
練習の後ですから誰もが疎かにやりがちなグラウンド整備です。でも、これさえやっとけばイレギュラーバウンドを消せる。
いつもセカンドの前は球がイメージ通り跳ねる。それだけでも中学での野球生活は達成されたようなもんだった。
3年生の最後の試合。ベンチ入り出来るのは背番号付きの15人。そのまま番号振られてもきっと28番目くらいだろう。もうとっくに中学校での野球人生は黄昏を迎えていた。
試合の前、監督が『おまえが着ろ』と15番を手渡してくれた。内野手なんかダブついているというのに。
マジメにやることが何にも代えがたいステイタスとなった瞬間だった。
『50000回斬られた男』福本清三さんも『どこかで誰かが見ていてくれる。』と言われていた。シンパシーだった。
なのでマジメな人がバカを見る世の中だけは絶対に許せない。
実際は『マジメにやらないと何も成就しない』とは言いがたいんだが、マジメにやって唾を吐きかけられるような世界はちっとも正しくない。マジメを軽んじる心に平安なんか訪れるハズがない。
マジメにやることが正しい。マジメにやるからこそ、やっただけの正しい結果がそのまま出る。
それがわかっているからこそ『棚から牡丹餅が落ちてこないかなぁ』と思ってる。
つまり『責任なき自由』がありえないのと同じく『マジメ無きタナボタ』など存在しない。
『マジメ』にやること。『マジメ』にやってる人を評価する世界。
それしかないやろ。