ナイフを握りしめた18の日々が蘇る
どうして刃物を対面販売にするべきだと思うのか?
『ペンは剣より強し』という言葉がありますが、どんな映画や小説にも、戦場でボールペンを振りかざして戦ってる姿は確認できません。いや、あるかも知れませんが観たことは無いです。
しかし、素材とその状況によっちゃボールペンを勢いよく相手の胸に突き立てればもしかしたら人を殺せるかもしれません。
だからってボールペンを戦闘地域に大量に送っても、誰もそれを武器だと認識しないでしょう。
しかも『戦いよりも勉強を!』とはならんでしょうしね?
『刃物なんか危ない!』確かに危ないですけども、ただ『刃物』そのものが単体で人を襲ってるんじゃなくて、人が刃物を使って人を攻撃するわけです。
至極単純な構造なんですが、なにかあればすぐ刃物をスケープゴートにしたがる思考停止部隊は日本にも沢山います。
『刃物さえ無ければ傷つけられることも無い!』
いや、よしんばこっちが持って無くても向こうは切りつけるために持ってるからね?無茶苦茶なことを言わないでくださいよホントに…
その刃物にも、戦場で使うような純然と殺傷能力に特化したモノもあれば、日常生活において、いかに便利に使えるかを求めたモノまで『刃物』ってだけで多種多様に存在します。
もしかしたら刃の持つ冷たさに美を求めたり、彫金して美術的価値を求めたりって人もいるでしょう。
そういった芸術作品をも含め、刃がある限り、人間の動向次第では必ず『凶器』になることが出来るということは絶対に認識しなければならない。
安全性能の星が幾つもついてる自動車だって、なんだったら自転車であったって、人間の集まりに向かって突っ込んでったら即凶器ですからね?
昭和の学園ドラマじゃないんすから、『これ格好いいだろ?』と教室でナイフを見せびらかすとかね?
そのナイフの刃先よりも何よりも、その『軽さ』が何よりも危険なのであります。
つまり、ナイフの所持が危険だと言うのではなく、その危険性を認識していないまたは軽く考えていることが『最悪』なのです。大人であっても子供であっても男も女も日本人も外国人もね?
もしも冗談で刺すマネしてて、勢い余って刺しちゃったら、それは事故では片付けられない。だって、事故じゃないもんね?確かに刺したんだもん。
飲酒運転もしかり、車の中に幼児を放置だって、例えば、よそ見しながら熱湯を注いだり、天ぷらしながら長電話とか、いつだってそうなんですけど、怖いのは常に危険と隣り合わせにいるという認識がゼロになっちゃう慣れとか虚無がどうしても存在してしまうことであって、言わばそれも人間の一つの能力ではあるんですけど、そうさせない能力も持ってるからね?誰もがね?
慣れと軽さ。
『気軽に試せる』とか『スグ使える』とか『簡単に買える』とか、入り口が容易でなだらかであればあるほど、危機意識は無くなる。
牙をむき出しで唸ってるドーベルマンに手を出そうとは誰も思わないけど、無心で餌を食べてる犬にはつい手を出しちゃう。…で、噛まれる。
日本では銃の所持に関しては許認可制なので『欲しいな。買おうかな。』とはならないですけども、あんなマヌケでもネットで調べりゃ作り方も教えてくれるし材料も買えるしね?
銃がガンショップでしか買えないように、刃物は金物店でしか買えないでいいと思うんですけどね?誰かそれで損するん?
『包丁一つ買いにわざわざ金物店を探すのが面倒だ。』
つまりそこだけなんでしょうけどね、でもそもそも魚のいるところに行かないと魚は釣れないものなのですよ。どうぞ買いに行ってくださいよ。必要なら。
現在、調理器具から農機具、建築資材に至るまで、だいたいの金物屋さんは取り揃えています。
そして、ちゃんとした業者や職人はそういった金物店でちゃんとした道具なり資材なりを買う。プロなので。
モリブデンやらステンレスやら、錆びないとか、欠けないとか、すごく便利になりましたけど、包丁を砥いで大事に使うことで『エコ』にも繋がりますし、どうぞ金物店を積極的に活用して、安心で安全でおまけにエコロジーな生活を送りましょう!
はい、SDGs言うてる皆さん。どうぞ☆