どこかで誰かが見ていてくれる
人気も無く、ヒット曲も無く、オマエ誰やねんレベルのミュージシャンにとって、今、目の前にお客さんが居てくれることだけが心の支えです。
よしんば誰も観てくれる人がいないライブであっても、きっとどこかで誰かが見ていてくれて、『誰か知らんけどええやん。』と思ってくれるだけで救われます。
お客さんを呼ばないミュージシャンは、ライブハウスやイベンター、関係者やスタッフにとってクソであり時間のムダでしかありません。役者もそうかも知れません。
『チケットノルマ?自腹切ったらええんやろ?』
だったらそのチケットを来てくれる人に配るくらいのそのライブへの熱意は見せて欲しいものでありますが、『自腹切ったから達成』とでも思っているかのようにむしろ堂々としたものであります。
どういったメンタリティなのかは未だに謎です。
どのジャンルにも、どの年代にも、お客さんを呼ぶ気が無いミュージシャンはいっぱいいます。役者もそうかも知れません。
そんなにイヤならさっさと辞めたらええのにね?
そしてその時間とその場所を『音楽やりたい!』『演劇したい!』って人に譲ってあげればいいのに、なんでその気も無いクセに場所と時間を占有なんかしてんすかね?
いつも観て欲しいと思ってライブをするし、でも観てもらえないことがほとんどで、若い頃は『今度こそ辞めよう』と毎回思ってました。
『どこかで誰かが見ていてくれる。』
時代劇の大部屋俳優で、福本清三という人がいました。通称『5万回斬られた男』として、時代劇には欠かせない斬られ役でした。
トム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』にも出演され、後に主演映画も制作されるほど、役者人生の晩年で一気に有名になられました。
『どこかで誰かが見ていてくれる。』そう思ってずっと斬られ役を続けてこられたそうです。
いや、確かに観てました、ずっと。子供の頃、お婆ちゃんと観てた時代劇の敵の中にシャドーの濃い強烈に悪そうな人を『あ!またおった!』って言いながら、そのド派手な斬られっぷりを観てましたよ!
太秦映画村には何度か『福本清三ショー』を目当てに行きましたし、二条のTOHOシネマズで偶然お会いした時はプライベートだろうからとお声かけはしませんでした。
惜しくも数年前の元日に亡くなられました。
今度は福本清三さんが観ていてくれていると思っています。なのでライブも引き続きやっていきたいと思っています。
未だに人気も無いしヒット曲もありません。『なんのためにやってんの?』って思われてるんだろうなと思っています。
でも『どこかで誰かが見ていてくれる。』と思って続けます。
毎年、正月になれば福本清三さんに会ってる気がしています。もしもあの世でお会いすることがあれば聞いてみたいです。
『観ててくれてましたか?』