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食うリス益々
世の中で最もツライことは『食べるものが何も無いこと』だ。間違いない!
食べる事は生きる事。食べればシアワセな気持ちにもなれる。食べられない事は本当にツライ。
『60%を輸入に頼ってそのうち30%を食わずに捨てる国の人間が何言ってんだ!』って言われると非常に恥ずかしいんです、本音はそこなんですよ。
怖いんです、食えなくなるのが。
昔、細木数子女史がテレビによく出てらっしゃった頃、『日本に備蓄してある古米はみんな北朝鮮に贈ればいい!』とおっしゃっていた。
『恩を売れば心も開けるだろう』と、まるで菩薩のような慈悲深いお言葉に思わず気を失いかけた。
拉致した日本人を返さないのに?
ちなみに『神の国に入りたければ全財産を放棄して神に従え』とキリストは言ってましたけど、テイストはそれとちょっと違ってて、現実的な財産放棄の話であったり、儲けた分を他者に還元しなさいとかって話でも、困ってる人を助けなさいって話でも無い。
『そんなに現世に執着しなさんな。やがて死ぬんだからさ。』ってテイストの話であります。
元へ。仮に北朝鮮に古米か古古米かを贈ったところで、『転売ヤー』に売られたり、末端労働党関係者に横領されて闇市に並んでたりするかもしれないし、細木数子女史のイメージ通りに『明日をも知れない命の子供たち』の飢えが解消される補償なんて一つも無い。
そんなしおらしい国なら日本人をそっとリリースしてるって。
といった理由もあってか、経済制裁してることも関係してか、日本政府は北朝鮮に米の一粒たりとも贈っていませんけど、これから冬が来て餓死する子供が出ない事だけを祈るばかりであります。
善意を考える時、『え?困ってるなら差し上げますけど?』って姿勢がいつも完璧かと言うとなかなかそうでないのが現実だったりする。
『ほどこす』という言葉は嫌いです。『余ってるからあげます』ってのはもっとキライ。
ついでに言うと『着なくなった洋服をシワクチャのまま詰め込んで送るタイプの人』は、これから一生ステキな洋服が着れなくなったらいいのに☆って思います
偽善であっても時に大きな役割を果たすことがあります。
往々にして偽善は大声張り上げて盛大にアピールしてから行われますので、その一人の偽善が多くの人の目を開くことがあるからです。
そう考えると細木数子女史の『余ってるお米あげますわ』というちょっと乱暴な考え方も、ある意味では正しい選択なのかも知れませんね?
ただし、『あげたから違うもの返せ』ってのは間違ってると思いますけどね?
なので拉致被害者との取引にはならないでしょうし、それを見越して『古米をプレゼント!』であればいいんですが、前出の理由で困った人に渡らない可能性も織り込み済みでやるって言うならそれ相当の大義名分は欲しいところですね。
なんたって『備蓄米』なので。いざというときに無いと困るんで。
これからクリスマスが近付くと、街角にはどこかの何かのボランティアの人たちが、どこの誰のことか詳細は一切明かさず『恵まれない子供達のための募金活動』をされたりします。
具体的にイメージしづらいのでお役に立てそうにないんですよ、いつもすみませんね。
その昔、『エチオピアのコーヒー豆を買ってくださぁーい』って大学生のアルバイトと思しき青年が募金詐欺に来たりってこともありました。
今じゃもっと過激に闇バイトで強盗が主流ですけどね?
テレビ局は『世界の災害被害者のための募金』を呼びかけたり、都市部ではホームレスに緊急避難施設が開設されたり、まるでクリスマスイルミネーションに炙り出されたかのようにNPO主導の慈善活動が盛んになります。
子供食堂にもクリスマスケーキが付くんでしょうね☆
そうした慈善活動に協力されることはとても良いことだと思いますが、ただそれが『惰性で』とか『つい』とか『なんとなく』だとしたら、先ず『飢えるって何だろう?』と少しだけ考えてみてください。
飢えるって本当に悲しくてツライことですよね?
そう思って、60%を輸入に頼ってそのうち30%を食わずに捨てる国であるという事実は非常に大きくて重いと思います。
先ずは食べ残さない毎日を実践していきましょうよ☆
日本に『クリスマスケーキが売れ残らないクリスマス』が来れば、ちょっとは変われる気がしますね。