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アイライクミ
世の中には殊の外『自分が好き』な人がいて、昔はそんな人がいることなぞ気にもしていなかったワケですが、このSNS全盛の現代におきましてはもう何をかいわんやでございます。
全く健康で羨ましく思っております。
そもそもSNSなぞというものは『承認欲求』を満たすためのツールとも言うべきものであります故、隠す気すらもう皆無な『自分好き』があちらにもこちらにもおいでになるのでございます。
どのSNSにあっても『自分好き』比率は高く、自ずと『自分好き』同志の交流が盛んになり、図らずも『自分も自分も』アピールがとめどなくエスカレートしていっている昨今でございます。
『映える』
代表的なものとしましては『昭和の結婚式の引き出物に入ってるようないつ使うねんちう純白の平皿の中央にちょこんと乗った小麦粉を軽くまぶしたチヌの切り身を多めの油で焼いたものに彩りよい生野菜を飾りオリーブオイルを回しかけケッパーを振った料理』に、謎のハッシュタグをつけてある画像がございます。
それだけを見れば『メシ食った』だけのストーリーしか出てこないんですが、圧倒的に訴えかける『こんなおしゃれなディナーを愉しんでいる私』でございます。
食いもしないのに胸焼けするのは令和に入ってからの現象でございます。
もちろん『自分のことが好き』なことを否定するものでは決してありませんで、むしろ自分のことを好きでいられるその幸せが、全世界の全ての民族に広がれば戦争なんかバカバカしくてやってられないって時代もやって来るかも知れないぐらいに思っています。
一方、『自分好き』は概ね『性癖』と捉えていいと思ってまして、LGBTQだなんだとうるさい時代ではございますが、つまり『癖』であるということは『決して他人に強要すべきことではない』という前提にあるものだと思っているのです。
つまり『あなたも自分を好きでいなさい。』とか、『自分好きな私を認めてください。』とか他者に押し付けるものであってはいけない。
『私は自分が大好きー☆』ここまでは何ら問題が無いんですが、このところどうも『こんな自分が大好きな私のことを好きになってー!』と言われてるようにも見えるのであります。
デカいハナクソが採れたのを『ね?琥珀みたいでしょ?』って見せられてるような、『そんなもん見せんなやボケ!』って、どうもそんな感じで『自分好き』のSNSを見ている私の魂はよっぽど荒んでいるのだろうなと感じています私はそこまで自分のことを好きではありません。
これでやっと『多様性』でございます。