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扇風機幼児期
扇風機の前で『あー』って言ったら変な音がした。しばらく『あー』って言うと思う。他の人も同じ変な音になるのか確認してみたくなる。とりあえず近くにいる人に報告して協力を乞う。
今度は扇風機そのものに興味が湧く。指で押さえたら止まるかな?って指突っ込んでみたくなる。
いや、全然やってみたらいい。いっぺん自分でやってみるのが何よりもいい。そっとな?
大人には経験則がある。自分でやったことが無くても聞いて知ってる。指がどうなるかその先の話や、誰かがやった話を聞いてる。詳細は知らなくても『危ないことである』ことは少なくとも知ってる。
大人は『危ないからやめとけ』って言う。それも責任だしね?
ただ、言葉だけでその痛さや、その先にあるかもしれない未知の恐怖、そこから発展するかもしれない悲劇を、まだ幼い脳に想像や理解をさせることは難しい。
無垢に興味が勝っちゃって、『指を突っ込んでみよう』ってもう思っちゃってるんですからね?今は回避しても次のタイミングでは欲望に負けちゃうかも知れない。
空虚な状況にあって、手にピンピンに尖った鉛筆を持ってたとすれば、自然と目の前の大きな背中をプツと突いてみたくなる欲求に駆られる。人間は誰しもそういう性質を持ってるものだと思う。
やるかやらないかの差は大きい。
めちゃめちゃキレイに紙飛行機が作れたら二階の窓から飛ばしたいと思うし、ドリンクバーのコーラに他のジュースを混ぜてみたくなる生き物なんですよ、人間なんてものは。
やってみればいい。それでどうなるかは、どうにかなってから考えたらいい。
あれもダメ!これもダメ!それもダメ!
ダメなのはわかる。なぜダメなのか、子供に言ってわかるものならいいけど、わからないなら身体で覚えさせるしかない。
自分の身体で実験してみれば、痛いのか熱いのかすぐにわかる。恐怖になるのか、そこはかとなく快感に変わるのか、一回はやってみないとわからない。
ただし、他人を実験台にしないことと、誰が何と言ってもダメなものはダメだってこと。ここが境界線ですね。
やってみればいいと言った尻からなんですが、理屈じゃなくて、ダメなものはダメなんですよ。そんなものは世の中にいっぱいあるし、いっぱいあってもそれで正しい。
社会で生きてく上で必要だから『絶対にこれはやっちゃダメなこと』だってなってる。そんなものは枚挙にいとまがないし、何があっても必ず守らなければならない。
『やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』山本五十六
すべて親のさじ加減ですし、先ずは親の価値観でいいと思うし、最も大事な役目だと思うしね?
抑圧ばかりだと、鬱積したものが違う形で噴出しかねないので、時々ガス抜きさせながらも、身をもってエクスペリエンスを積み上げていければ、真っすぐいい子に育つと思いますけどね?
ま、何はともあれ、危ないものは子供の手が届かないところに置いておきましょう。それが先決。